昨日、6時間目、小講堂において中学3年女子生徒対象の「特別授業」が行われました。
「命の尊厳~助けを待つ人々のいる援助現場へ」
講師 『国境なき医師団』
森脇 千英子(もりわき ちえこ)先生
今回は、人間としての尊厳を奪われた人々の生命を守り、その苦しみを少しでも軽くするために創設され、窮地におかれた人々に医療を届け、再び自らの手で未来を切り拓いていけるよう手助けをする活動を世界各地で行っている『国境なき医師団(MSF)』から、先生をお招きします。
昨年度来、「働くということ」について様々な学習活動を続け、3年間に多くのことを学んできた皆さんにとって、まもなく終わる中学時代の総決算となる授業です。
◇『国境なき医師団』の紹介は、こちら(pdf)
◇講師 森脇 千英子 先生のプロフィール(自己紹介文より)は、こちら(pdf)
〔生徒配布用プリントより〕
講演は、先生が9ヶ月間にわたり活動なさったタイのBHNK(バン・ウェイ・ナム・カオ)難民キャンプでの様子を記録したスライドに解説を加える形で進められました。 (クリックすると拡大します)
キャンプには、約7800名が収容され、その25%が6歳以下の子どもたちです。
一家族は平均5人、草葺き屋根の家に住んでいます。
左の写真は、結婚式のスナップです。
モン族は、かつて略奪婚の伝統がありましたので、その名残でしょうか、新婦の隣にはカムフラージュのための女性も写っています。
私の現地での仕事は、
ロジスティシャン(物資調達管理調整員)とアドミニストレーター(財務・人事管理責任者)。
ご覧のようなOPD(外来クリニック)にて、簡単な処置や問診を施すこともありました。
また、難民の生活を支えるため、現地のボランティアなどとともに器具を製作することも。
真ん中は、首の座らない2歳の障害児が腰かけることのできる特製の椅子です。
車(救急車)の手配も行います。
また、大事な水の確保のため河川から数?に及ぶパイプラインの保守、整備にあたります。
右は、残念ながら、焼畑農業のため焦げてしまったものと故意に破壊されたパイプの画像です。
トイレは和式に似ています。毎日、汲み取り業者が6往復しています。
ゴミは、燃やすよりましということで、やむなく山に埋めているのが実情です。
半年から1年、1チーム5名で活動しますが、メンバーは固定されず常に出入りがあり流動的です。
会話はほとんど英語でなされます。
中学時代評価3だった私です・・・(笑)
08,5,23 850軒が全焼する火災が発生しました。
放火によるものでしたが、なんとかクリニックと物資保管倉庫だけは難をのがれることができました。
また、もう一つ大きな出来事は、難民のみなさんがキャンプから出てデモ行進を開始したことです。
その要求は、「ラオスに強制送還されたくない。自分たちを難民として認めてもらいたい。」といったUNHCRへの悲痛な叫びでした。
この時のデモの目指した先は、バンコクのUNHCR本部でした。
なんとか、復興したキャンプ、笑顔ももどりました。
ここが、現地でのわたしの住居です。
すごいうわさ(サソリや食べ物のことなど)を聞いていたが、まったく言うに及ばす、私にとっては5つ星でした。
また、米袋をサンドバック代わりにして(ボクシングを6ヶ月していたこともあり)ストレス解消していました。
サプライズとして、目の前で出産に立ち会えたこともありました。
ところで、スタッフとのパーティも2度ほどありました。
私が作った中では特に
お好み焼き、カボチャの煮付け、そして餃子が人気メニューでした。
…講演後の質疑応答より…
Q:現地でつらかったことは?
A:スタッフといつも働く場も生活の場も一緒だったことかな。
Q:私たちに知っておいて欲しいことは?
A:目にする情報、耳にする情報、これらだけが情報のすべてだとは思わないで欲しい。
Q:「働く」ということは何ですか?
A:そのことによって、報酬を得られる得られないに関わらず
自分に任されたことをきちんと責任感をもってやり遂げることでしょうか。
「とにかく、現場で人の役に立ちたいとの一念から向かった難民キャンプでありましたが、
実際に難民たちがもっとも望んでいたこと(UNHCRがタイ政府に圧力をかけて欲しい)
に対して必ずしも力を尽くせてはいない、貢献できてはいないんじゃないか、
といった煮え切らない不完全燃焼な思いが残っています。」
と、最後に結んだ森脇先生。
そのバイタリティあふれる誠実なお人柄に触れることのできた貴重な一時間でした。