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講演会 《日本人のしきたり》 三橋 健先生(國學院大學神道文化学部教授).

投稿日2008/12/13

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本日は、過日(10/7)お知らせした〈父母の会〉主催による講演会が國學院大學渋谷キャンパスにて開かれました。
 
講師は、神道文化学部の 三橋健先生。
演題は、昨今軽視されがちな「日本人のしきたり」について。
 
白髪にしてまさに好々爺そのものの先生は、ときおりユーモアを交え聴衆の笑いを誘いつつ、あらためて「しきたり」の重要性についてお話されました。
 
 ●生活の知恵、生活文化としての「しきたり」
 今日12月13日は昔から「煤払い」をする日にあたり、明けて翌14日は「忠臣蔵」討ち入りの日でもあります。このいずれも「無い」となると、どうも落ち着いて年を越せそうにありません(笑)。「しきたり」とは、こうした「生活の知恵や文化」といったものの長い「繰り返し」のうちに、自然と「身につく」ものなのです。ちなみに、この「身につく」とは、決して殻のような「身体」にではなく、実であるところの「魂」に訴えかけることをいいます。
 
 ●「しきたり」の根底には相手を敬う気持ち
 「二十歳」のことを「はたち」といいますが、それは「こども」が「果たつ」(終える)ことからきています。そのためにも子どもらはきちんと「しつけ」をしなければなりません。先日、電車内にて悲しい光景に遭遇しました。窓外の景色を眺めようと靴のままシートに上がってしまった子どもをその母親が窘めます。そのとき、すぐ側に身障者の子どもがいたのです。母親いわく「だめでしょ、そんなことをしていると、あの子のようになっちゃうよ」・・・・・・どんなに正しい方向へ子どもを導くにしても、常に相手を敬う気持ちが必要です。
 
●観脚下(かんきゃっか)
 人の幸福は、なにもはるか山のあなたにあるものではなく、あのチルチルミチルの『青い鳥』のように、実はすぐ身近なところにあるもののようです。したがって、「しきたり」を通じた「しつけ」も、あまり難しく考えず「足もと」を見つめていくことが肝要です。身近なこと・・・そのひとつが「あいさつ」でしょう。
 
●「しきたり」は「安心」を運んでくる
 先にも述べたように、「しきたり」は一朝一夕にできたものではないゆえ、これからの未来についても「繰り返される」ことが予想できます。そのことが実は人に「安心」と「豊かな心」を運んでくるのです。
 
 ●非合理的、非科学的なもの
 元旦に望む太陽は科学的には他日のそれとなんら変わりはないものでしょう。しかし、お正月という「しきたり」からいえば、それは特別な年に一度の「初日」ということになります。生まれても1年経つまでは「0歳」と扱う合理性に対して、「数え年」では「1歳」。ここでも「命ある者」を敬おうという姿勢がうかがわれます。
 
●「真善美」
 正しきものは、「形」(形式)のうえでも美しくなければなりません。つまり「真善美」一体化したものこそ「しつけ」の根幹です。先にあげた電車内の母親がなにゆえ間違っているかはひとえにこの点にあるのです。
 
 ●「節句」は「節供」なり
 生活上の「節目」を乗り越えるためには、人知を超えた力、つまり神の力を頼むことが必要です。その神への祈りをこめて「供」えものをする節目の時こそ「節供」なのです。同時にそうした節目における「しきたり」は、ちょうど「神輿(御輿)」の担ぎ手である者たちが心を一つにする場でもあります。その意味からも「忘年会」と「新年会」を一緒くたにして一回でやってしまおうなどという節目を無視したけじめのないことは許されません。そういうことをしている会社はつぶれることでしょう(笑)。
 
 
・・・ということで、講演の締めとして、景気よく参加者全員で「三本締め」をしてお開きとなりました。
 
 ※ 最後に問題です。
   関東は江戸の「三本締め」。
   これを簡略化したものに「一本締め」と「一丁締め」がありますが、
   その両者の違いがお分かりですか?
 
   答えは、三橋先生に直接か、  本日の参加者のみなさんにお訊きください。(笑)
 
 
それでは、今日の節目は、「一丁締め」にて・・・・・・「よーーーーっ、パン!」

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