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桜桃忌.

投稿日2008/6/19

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梅雨の中休みを上手く利用して、今日まで順調に
中学1年生の《地域探訪》が各クラスごとに実施されています。
 
そのコースの後半は、学校北側を流れる「玉川上水」沿いの緑道。
「玉川上水」ゆかりの文人はたくさんいますが、なかでも浮かんでくるのはやはりこの人でしょうか。
 
本日「6月19日」は、その人の誕生日であるとともに、遺体が発見された日として、「桜桃忌」と呼ばれています。
 
 太宰治。本名、津島修治。小説家。
 
人は生きてゆく悩みの中で、その「裸体」を覆い隠すように年々歳々さまざまな「衣」を重ね着していくような存在なのかもしれません。
だとすれば、太宰治という人は、極力その「衣」を身につけることをせずに、ありのままの身と心をもって生きた稀有な人であったといえるのかもしれません。
 
 
学校帰り、その上水沿いに、ちょうど60年前の「人喰い川」を想像しつつ太宰の足跡をたずねて、《独り地域探訪》(三鷹編)を敢行することにしました。
 
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まずは、太宰の眠る三鷹禅林寺へ。
学校からは駅前の道を西へ約3kmほどのところにあります。
三鷹駅からは南口からまっすぐ1kmぐらいでしょうか。
墓地自体へは、午前8時から「日没」まで入ることができます。
 
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たくさんのお供えものに囲まれていました。
なかでも、目立ったのは「桜桃」(サクランボ)。
わたくしがお参りしたわずかな間にもファンが絶え間なく訪れていました。
 
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「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」
斜め前には、すべての栄誉・称号の類を排して眠る
森鷗外のお墓もあります。
もっとも、太宰は生前鷗外の墓をここに見出し、自分もこんな清らかな場に眠ることができたなら、と望んでいたと言われています。
 
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寺をあとに、一路三鷹駅までいったん北上し、それから60年前の入水地点へ向かいました。
その少し手前の「風の散歩道」にある小さな広場には、作品『乞食学生』の一節とともに上水の堤に腰を下ろす太宰の写真が添えられたプレート碑を見出すことができます。
 
「・・・四月なかば、ひるごろの事である。頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。・・・」
 
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実際の入水ポイントは確定できませんが、おそらくこのあたりであろうという地点には、太宰のふるさとである青森は五所川原市金木町の「玉鹿石」が置かれています。
 
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そして、最後に三鷹市下連雀の旧宅跡付近を訪ねてみました。
旧宅そのものは見る影もありませんが、その玄関先にあった「百日紅(サルスベリ)」の木が、井心亭に移植されて今も枝葉を広げています。
 

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