まずは、「自分の足もとから見つめよう!」という目的で中学1年生の恒例行事となっている《久我山周辺 地域探訪》も、2002年から始まって今年で7回目を迎えました。
今日は、男女合同で小講堂に参集し、その事前学習の機会を持ちました。
限られたわずかな時間でしたが、みな社会科のT先生の解説に熱心に耳を傾けていました。
まさに「灯台もと暗し」です。
こんなに身近なところに、歴史的、文学的価値のある代物があるとは思いもよらなかったことでしょう。
来週から月末までの2週間、国語と社会の時間を利用して各クラスごとに「ゆかりの地」をたずねて歩きます。
ということで、今夕、一足早くそのコースをぐるっと一回りしてみました。
関東大震災の影響もあって、宗派を越えて下町から「集団疎開」して形成された烏山の「寺町」。
その中の古刹、「専光寺」です。
入って正面のお墓は、江戸時代の浮世絵師のものですが、さて、それは誰でしょう?
さて、学校を通り過ぎて玉川上水へ。
通学路でもある兵庫橋から少し西側の茂みの中に小さな石碑が立っています。
往事、人喰い川とも呼ばれた上水の水難慰霊碑です。その揮毫はアイヌ研究でも名高い国語学者の手によるものですが、さて誰でしょう?
(ヒント:身近な「国語辞典」を手にとってみましょう)
また、その慰霊碑のすぐ脇には赤茶けたこんな柵が見られます。
時は、ちょうどこんな梅雨時でした。
桜桃忌といえば、誰のこと?
わからないようでは、「人間失格」ですぞ!(笑)
かつての「江戸道」は 今や久我山駅前を通る人見街道に吸収されてしまっていますが・・・。
牟礼橋は、その昔、雨になると急激に水かさが増し、橋そのものにドーンドーンとぶつかることから、「ドンドン橋」と言われていました。
ところで、よくよく目をこらしてみると橋の中央に何か動物のようなものが掘られています。いったいどんな生き物なんでしょう?