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国の基を究めつつ125年.

投稿日2007/11/5

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昨日は、國學院大學の創立記念日でした。
 
明治15年(1882)に國學院大學の母体となる「皇典講究所」が創立され11月4日に開校式が行われてから、今年で実に125年の歴史を重ねてきました。
その間、1920年に早稲田・慶應義塾・明治・法政・中央・日大・同志社とともに大学令により私立大学として最初に認可されました。
 
そして、昭和27年、大學創立70周年の節目に建学の精神を一にすることから「久我山学園」はその傘下に入ります。
その精神とは、まぎれもなく有栖川幟仁親王がその開校式にて述べられた「告諭」にみることができます。
それは、このような一文から始まるのです。
 
 「凡学問ノ道ハ本ヲ立ツルヨリ大ナルハ莫シ。・・・」
 (およそ学問の道は本を立つるより大なるはなし。)

 
まずは、しっかりと「自分自身の足元を見つめよ」ということになりましょう。
このこと自体は、いつの時代にも通用することであって、進歩するにあたっては、常に外発的でなくして内発的でなければならないとの真理を説きつづけながら現在に至っています。
 
ところで、このたび國學院大學のちょうど100期卒業生(平4哲学科卒)、諏訪哲史さんが、第137回芥川賞を受賞しました。
その受賞作品は。『アサッテの人』。
ちょうど、学生記者によるインタビュー記事が『学報』(10月10日発行 第551号)に掲載されていました。
 
その中で、諏訪さんは「言葉」について、実に誠実に語っていらっしゃいますのでここに紹介したいと思います。
(『学報』からの一部転載については何卒ご容赦のほど・・・)
 
 「言葉の力を信じる。同時に言葉の力を決して過信してはならない」ですね。少し逆説というか矛盾を含んでいますが、「言葉の力を信じなければ小説は書けません。しかしその力を過信すると大変な目にあう」ということです。・・・・・・つまり言葉とは、無くてはならないし言葉でしか思考できない、言葉を使ってしか生きられないのが人間ですが、言葉というものが、もっとも自分を裏切ってしまう。自分がその言葉を統御しているように一見見えるけれども、実は統御されていて、言葉の力に押し流されて裏切られることが沢山あるわけです。・・・・・・言葉とは、距離をとるのが難しいものでありながら、それでも付き合って行かざるを得ない。これが文章を書き始めた時からの座右の銘となっています。」

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