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盲人用押しボタン  〈全校朝礼の「講話」より〉.

投稿日2007/11/2

今日は月に一度の 《環境美化の日》 。
それにあわせて実施された「全校朝礼」では、
あらためて先日の「中学音楽部」「全国コンクール金賞」の披露と、それにつづき、
生活指導のS先生から次のような「講話」がなされました。
 
 
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「みなさんは、久我山の街中に、国内ではじめて導入されたものがあるのを知っていますか?
それは、今ではどこでも見かけるようになった駅前の信号機に取り付けられた《盲人用押しボタン》なのです。

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ところで、かつて本校の生徒できまって月曜日になると遅刻してくるA君がいました。
ふだんの生活ぶりも実にまじめなA君であるだけに、先生方もこの月曜日の遅刻が不可解でなりません。
理由をたずねても、『すみません』の一点張り。
 
それから、しばらくしてからのこと。
通りを隔てて同じ久我山の名を持つ《都立久我山盲学校》の先生から連絡をいただいてその理由がわかったのでした。
 
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当時、盲学校は全寮制で週初めの月曜には1週間分の大荷物を抱えて登校しなければなりませんでした。
駅からわずかながらも上り坂のつづく商店街の通学路を懸命に歩いていきます。
 
その様子を見かねたA君は、月曜日になると、駅で待ち構え、その荷物をかついでは一緒に盲学校まで登校していたのだそうです。それから、とってかえして、本校の正門めざしてダッシュする、これがA君の遅刻の真実だったのです。
 
みなさんは、このA君の話をきいてどういう感想をもちますか。」
 
 
人の行動というものは、
「好悪によって行動する」か、あるいは
「善悪によって行動する」か、のいずれかに大別することができそうです。
このときの「好悪」とは、「自分がしたいと思う」ことと置き換えてもいいでしょう。
また一方の「善悪」は、そうした「好悪」を超えた「それをして善いか悪いか」といった判断基準に照らしてみることといってもいいでしょう。
 
このとき、A君のとった行動は、
「善悪」の面からいえば、「遅刻」を繰り返すということからして、咎められるべきものでありましょう。
現に、正門で教室で常に彼は怒られ続けたでしょうから。「皆勤賞」も与えられず、その不可解な行動から周囲の信頼も失いかけていたかもしれません。
 
しかし、A君は「遅刻」はいけないこととわかってはいても、月曜の朝、駅頭に立つと、自分の体の内なる部分から沸き起こってくる「好悪」の感情を抑えることができなかったのでしょう。
 
「この人を助けたい、この人の荷物をもってあげたい、・・・ぼくには、この人を見過ごし、見捨てることはできない。」
 
理屈では説明のつかないこうした純粋な思いが、具体的な行動に昇華していったものでありましょう。
 
 

こうしてみるに、
A君は、今では久我山駅前のみならず当たり前に目にすることができるようになった《盲人用押しボタン》《点字ブロック帯》などの代物には決して替えることのできない、かけがえのない存在であったことを思わずにはいられませんでした。

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