あの大震災から早一年と三か月。
戦後以来、この国を襲った未曽有の国難に対して「自衛隊」という存在はどのように立ち向かったのでしょうか。
このほど、隊員の方にお越しいただき、「災害派遣」の実情について直にお話をおうかがいする機会をもちました。
参加生徒は、中学3年と高校1年の男女希望者に生徒会執行部員を加えた75名。
スライドやビデオを織り交ぜながら紹介される「自衛隊」の活動を通じて、「3.11」のもたらしたものや、人間の根源的かつ本能的な力についてもあらためて考えを深めるきっかけとなりました。
特別講話 自衛隊の災害派遣について
~東日本大震災の活動を通じて~
講師 防衛相自衛隊 東京地方協力本部
3等陸佐 畑生(はたぶ) 幸信
以下、印象に残ったお話から・・・
□ 「今回の東日本大震災は、自衛隊としても、『想像をはるかに超えた甚大な被害』をもたらした未曽有の出来事でありました。また原発もあってそれは『複合的被害』という様相を呈し、同時に被災地の『自治体機能を奪う』までの深刻なものでもありました。」
□ 「地震発生の4分後から活動を開始し、174日間において、人命救助は約2万(全体の7割)、遺体収容は約1万(全体の6割)という活動内容でした。また、原子力災害に対しては約260日間にわたり活動したことになります。」
□ 「普段自衛隊でも使っていなかった泥流地帯での活動に不可欠な『ゴム長ズボン』については、当時全国の釣り道具屋さんから調達しました。」
□ 「瓦礫の撤去作業は、『重機』の前にも後にも、『手作業』が必要でした。なぜなら、そうした瓦礫の下には、常に『人』がいる可能性があったからです。」
□ 「簡易お風呂の設置にあたっては、群馬県などの温泉を運びました。被災者にとってはなによりリラックスできる場となったようです。」
□ 「(よくテレビでも映し出された)原発での放水作業は、すぐ足下に爆発による瓦礫が散乱するなか、恐怖と不安のなかで進められました。」
□ 「被災地で結成された『お話うかがい隊』は、被災者のみなさんの刻々と変化するニーズに耳を傾けるもので、女性隊員の活躍の場でもありました。 」
□ 「実のところ、警察官や消防隊員と違い、自衛隊員は『遺体』というものに直面する機会はあまりありません。それゆえに、避けて通れぬ今回は、若い隊員たちのメンタルケアも大変でした。 」
□ 「亡くなった方もまた人なり、という人間の尊厳を守らんとする態度は、外国からも賞賛されたこの国の伝統的な美徳のあらわれでもありました。 」
□ 「即時、協力してくれた米軍兵士たちでしたが、彼らが『丸腰』(非武装)で活動するのはこの日本でだけといってよいめずらしいことでした。」
□ 「被災地での隊員たちが食べる食料は、もっぱら冷え飯と缶詰でしたが、腹持ちがいいはずの『赤飯』が現地から手つかずで返却されたということがありました。 本来『赤飯』はお祝い事に際して食するものですから・・・」
・・・自衛隊のこうした活動を支えたのは、被災地のみなさんとのふれあいやお手紙、さらには子どもたちの明るさを取り戻した笑顔であり、「がんばって」の一言であったとのこと。
最後に、「『人の役に立ちたい』という気持ちをどうか大切にしてください」と結ばれました。