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教職員研修 《弁護士 森田健二先生 講演会》.

投稿日2008/3/3

1986年2月1日、中野区の中学2年生、鹿川裕史君(13歳)が父親の実家近くの岩手県のJR盛岡駅地下公衆便所内にて首吊り自殺をしているのが発見されました。鉛筆で紙片に書かれた遺書は、次のようにつづられていました。
 
 家の人、そして友達え
 突然姿を消して申し訳ありません。(原因について)くわしいことについては〇〇とか××(原文では実名)とかに聞けばわかると思う。
 俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
 ただ俺が死んだからって、他のヤツが犠牲になったんじゃ意味ないじゃないか。だからもう君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。                      昭和六十一年二月一日
                         
                          鹿川裕史
 
 
本日午後4:00から90分間にわたり行われた「講演会」には、この「鹿川君事件」の弁護にあたった
森田健二先生をお招きして、「いじめ」とその背景に見え隠れするものについてお話していただきました。
 
その当時、どんなにセンセーショナルな出来事であっても時間の流れがそれを過去へ押し流し、次第に人々の記憶からも遠ざかっていってしまいます。しかし、世の中には決して風化させてはならない出来事というものもあるのです。
過去に学ぼうとするその謙虚さがなければ同じ過ちは繰り返され確かな未来はやってこないということを、今日先生のお話を拝聴してあらためて痛感いたしました。
 
 
以下、印象に残ったお言葉から・・・
 
◇いじめは誰の身の上にも起こりうるものです。
◇人は互いの強さではなく弱さをどれだけ共有できるかが大切です。
◇自殺はとかく人が心の逃げ場を失ったと自覚したときにおこる現象です。
◇昔は異年齢の者同士の関わりや大家族そのものの存在がなによりの心の逃げ場となったのでしょう。
◇赤ん坊は成長するなかで徐々に能力を身につけていくのではありません。
 むしろ大半の能力はすでに備わっていて、必要に応じて選択したり不要と判断されたら除去しているだけなのです。
◇人は自分の能力を他者との関わりの中で発掘していくものです。
◇学校ではなくまず家庭です。
◇良い学校とは、いじめがないと言ってはばからない学校ではない。
 いじめの事実を隠蔽することなく、早期にきちんと対処する学校です。
 
ところで、話のなかで実に興味深い事実関係が紹介されました。 
鹿川君は、 「葬式ごっこ」があったその日の晩、唯一近しい関係にあった友達の家に出向き、普段は涙さえ見せずに気丈夫に振舞っていた彼が別れのことばが寄せ書きされた色紙を手に「お前だけは信じていたのに・・・」と涙ながらに訴えたのだそうです。
鹿川君にとって、この日この時までこの友人の存在は、先生のおっしゃった唯一の「心の逃げ場」であったのでしょう。
 
 
この「心の逃げ場」は「心の遊びの場」とも言い換えることができるように思います。
 家族の中にあっての孤独。
 学校の中にあっての孤独。
 社会の中にあっての孤独。
それは、無人島に一人取り残された孤独以上に残酷なものなのかもしれません。
 
講演の最後に先生は、ご自身の辛い過去を静かに語られました。
そして、もし今この国にとっての最大の問題はと問われたら、なにより「教育」であると・・・。
 
小児結核のため就学が大幅に遅れてしまい、そのことがもとで夢であった「学校の先生」になることができなかったという先生の「教育」の本質に向ける目は鋭く、核心を突いたものでした。
 
  人集うところに「いじめ」あり
 
きれい事や言い訳に満ちた物言いではなく、こうきっぱりと断ずることのできる人はそうそういるものではありません。

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