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「タテにヨコに・・・」@対面式.

投稿日2012/4/11

「68年という多年にわたる歴史を積み上げてきた本校。
新入生のみなさんも、その伝統を受け継ぎつつ、
新たな歴史を築きていきましょう。
そうすることで、同じ学年同士のヨコの関係のみならず、
先輩と後輩というタテのつながりも大切にして欲しいのです。」
                    ~ 学校長 式辞 より ~
 

 
      縄文杉             三代杉       
 樹齢2170年とも7200年ともいわれる周囲16mもの「縄文杉」。
 樹齢1200年の初代の切り株から1000年の二代目が、
 さらにその上に360年の三代目が命を繋いでいる「三代杉」。
                 ~ 世界自然遺産 屋久島 より ~
 
   
全校生徒揃っての「対面式」
今年はあいにく雨交じりの天候ゆえに教室のモニターを通じて行われました。
 
中高ともに、生徒会長が歓迎の言葉をおくれば、
それに応えて、新入生の代表も決意を力強く述べました。
とりわけ印象的だったのは、以下のやりとりでした。
さすが一日の長を感じさせる会長が、自らの貴重な経験に基づいてあれこれとアドバイスを語ったのに対して、新入生からは・・・・・
  
中学生徒会長 「・・・学校というところは、失敗をする場でもあるのです。
          だから、何事に対しても決して臆病にならず、
          勇気ある行動をこころがけてください!・・・」
 
中学新入生  「これから・・・がんばりますので・・・
          よろしくお願いします!!!」
 
・・・・・実に初々しいコンパクトなあいさつでした。(笑)
 
    
 
 
同時に本日は、今年度初の「環境美化の日」でもありました。
今は昔、高度経済成長まっただ中の1973年(昭和48年)に制定されたこの日の意義は、環境を整えることを通じて自らの内面もまた美しく浄化していくことにあります。
「もの」を大切にあつかうこと。
「身だしなみ」をきちんとすること。
それらは、とりもなおさず
「友だち」を大切にすること、
「自分自身」を磨くこと
につながっています。
 
今年で39年目を迎えた月に一度の「環境美化の日」
この日は単なる服装・髪型チェックや大掃除だけの機会ではないのです。
 
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放送の中で紹介された
「美しい日本人」 〈『私学の歳月』(名誉校長佐々木周二先生随想集)より〉
の全文については次ページをご覧ください。
 

   美しい日本人
 
 「美しい日本人であれ」 これは、こんど発表された、「期待される人間像」の中の一項目である。次々と並べられた項目の中で、何か心にひかれることばなので、発表された字句の中には説明のなかったこの「美しさ」の内容をここで考えてみたいと思う。
 
 「美しい日本人」とはどんな人間像であろうか。風土的美観や容姿の美形、服装の優雅などをさしているのではなく、外形に、にじみ出てにおうような内面的な美を、意味していることはもちろんである。
 人それぞれ像の結び方も異なってくるとは思うが、私はこんなふうに作りあげてみた。
 第一は「美しい日本人」とは、常に心の豊かな、あたたかい人である。
 人生、すべての起伏は基底に愛情の問題がある。今日の混乱する政治、経済、社会の問題にしろ、愛情によって解決できないものが、いったいいくらあろうか。実に自己の周囲に愛情を感ずることのできる人こそ、美しい人であり、社会はこの美しい人々の協力によってのみ、あすへの明るい希望をつなぐ。もちろん、この愛情も時と所によって質と量を変えねばならないが私はこの愛情の源、また愛情を包むものとして、心の豊かさとあたたかさを第一にあげる。
 第二は、たくましく生きてゆく人である。
 ことばをかえれば、意志の人であり、根性の人であり、不撓不屈、最後まで自力によって立ち上がることをあきらめない人である。気魄をこめて自分の責任を遂行し、道を進めて行く人でもある。たくましさとは力である。周囲に力として感じさせる力でもあろうし、自分の力を自分に信じさせる力でもある。私は第二にこの力をおす。
 第三は、常に感謝の気持ちを忘れない人である。
 人は、父母の恵みをはじめとして、限りない周囲の人々の恩恵によって、今日の姿に育っている。この社会で、自分の力だけでやれることは何一つない。感謝することはこの自分の立場を知ることであり、反省の心と謙虚差を生む源である。
 自分の力の限界と無力を知る時、神仏に祈る自然の心は宗教につながり、人間生活のいぶきを変える。感謝の念を、現状に甘んじ、権力に服従するという、封建的な卑屈な倫理と説く人もあるが、感謝し感謝される境地、徳に報いるに徳をもってする道は、平等の倫理であり、人類の悲願である平和への、残された唯一の道ではないか。
 
 以上の三点に、私は「美しい日本人」の人間像をしぼってみた。もっと広いはばをも考えてみたが、焦点の鮮明さをのぞむにはこれでいいと思っている。三つは相関連して、どの一つをはずしても「美」の観念から遠く離れる。
 三年生はいよいよ学園を巣立って、さらに深い人生の喜びと悲しみを知る日も近い。美しいこの風土の中の「美しい日本人」を考えた時、それぞれの道をあゆむ諸君の姿に、心から幸いを祈らずにはいられない。  (昭和40年2月)

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