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「見る」ということ.

投稿日2018/2/16


 
   
  「ものをよく『見る』ということは
   そのものをよく『知る』ことに通じています」
 
  「人もまた同じであって
   その人と直に接することで
   その人が今何を思い感じているのかを
   理解することに繋がっていくでしょう」
 
  
男子部の中学1年生を対象に、スクールカウンセラーの先生による講話がありました。
SNSやオンラインゲームなど、避けて通れぬ現代の高度で複雑な情報化社会にあって、そのリテラシーの向上は、今や家庭内でも学校でも最も重要な取り組み課題となっています。
 
そうしたなか、本日の講話で学んだ、「『見る』ことは『知る』ことである」という一つの「ことわり」は、同時に、何事も『知る』ためにはじっくりと心の「まなこ」を開いてその対象を『見る』ことから始めなければならないということでもありましょう。
 

 
奇しくも、同じころ、女子部の中学2年生が、一年間にわたり行われてきた『華道』実習の集大成として、グループによる共同制作に取り組んでいました。
 
あるグループでのこと。
師範の先生から、やんわりとアドバイスが…
 
  「これでは、
    花も葉も水を吸い上げることができずに
   間も無く枯れてしまいますよ」
 
ご指摘の通り、見れば空洞になった状態の茎がそのまま剣山に差し込まれていました。
花の気持ち、葉の心…それらを生ける者がしっかりと理解してこそ「生け花」として新たな命を吹き込まれるのでしょう。
 
なお、これらの共同作品は、明日以降しばらくの間、各校舎の玄関先にて訪問される方々を気持ちよくお出迎えいたします。
 

   

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