先日の男子につづき、今日は女子が全体発表会に臨みました。各クラスから2名ずつが選ばれ、計6名がそれぞれの「今思うこと」を語りました。15歳という「而立」の年齢だからでしょうか、「自分」という存在がどこに立脚し、これからどこへ向かうべきなのか、悩める乙女心が垣間見られる発表がつづきました。
刻々と変わりゆく108歳の曾祖母の姿を通して、まさに「生きること」の大変さを実感。明治、大正、昭和と激動の時代を必死に生きてきた彼女にくらべて、今の自分がどれほど生きていることをあたりまえに甘受しているかを知る。このずっと先で、思い出を忘れてしまうかも知れないとの不安にかられながらも、それだからこそ今目の前の一日一日を大切にしていきたいと結んだ。
そもそも普通とはどういうことなのだろうかと自問自答する日々を素直に告白。気負うも駄目、逃げても駄目、だからといって欲を欠くのもまたいただけない。結局は普通であろうとする気持ちが大切と気づく。あたりまえのことが出来る今の生活に何の不満があろうかと、被災地への思いを絡めた。無いということが普通である世界もあることに目を向けることで感謝の念に至った。
時の流れの速さをとみに実感する毎日にあって、地球上の生物はみな時間という魔物に翻弄されていると恐怖を語る。その恐れは確実に死へ向かっているという宿命ゆえに他ならない。しかし、疎遠になってしまった兄との関係からこの世に「変わらないもの」もまた存在することに気づく。変わらぬ過去の事実こそが価値あるものとして自分を前進させ得ると自らを奮起させた。
正義は人としてのぬくもりであると信じても、時に衝突の火種となることもあるとの分析から入った。いったい私たちは誰の正しさに従い、どんな正しさにすがればいいのか。そもそも正義とは、各々の価値観に左右される道徳と明文化された法律との間にあるものなのではないかと尽きぬ悩みを披露。こうして山積する悩みに押しつぶされそうな自分の憂鬱なさまを、青いブルー色に染め上げて素直に見せてくれた。
自分だけの自分でありたいと念ずるようになった「私」を力強く披露。その実現に向けて傍観者ではなくあくまで当事者として自分の顔を形作っていきたいと決意を語る。かつてふとんにくるまって人知れず泣いた苦い経験から、それが自分を知ることにつながったと振り返る。こうして自分のために心を揺らすには、より多くの人と接することが不可欠と外に目を向けるようにして結んだ。
部活なしにこの3年間を語ることはできないと静かに語り始めた。常に自分の存在価値に疑問を抱きながらのつらい歳月をおくってきたことを自白。悔しいと思えるほど頑張っていなかった1年の頃、どうせできないんだからとあきらめの2年、そして3年も夏までやはりその価値を見いだせない日々がつづいていたらしい。しかし、そうした苦悩の日々が、揺るがぬ自信を育んだことはこのタイトルがなによりも物語っている。