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講演会「いま何故『死者の書』なのか」 岡野弘彦先生.

投稿日2008/2/9

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本日、父母の会主催の講演会ならびに人形アニメーション映画鑑賞会に出かけてきました。
当初は学校の小講堂にて実施する予定でしたが、多数の参加希望者があったため、急遽「調布グリーンホール」に場所を移し、女子部中期課程(中3・高1)の生徒らにもその機会を提供して行われました。
 
会は、映画の上映に先立ち、國學院大學名誉教授
岡野弘彦先生による講演がありました。
題して「いま何故『死者の書』なのか」
 
実のところ、お話を拝聴しつつ胸の奥から熱いものがこみ上げてきたのはわたくしだけでしょうか。
 
以下、その要旨です。うまくまとめられておりませんが、ご容赦のほど。
 
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 今日、ここにくる電車の車内で、数名の女子学生にお会いしましたが、実にきちんとしたすがすがしい印象をもちました。その方たちもこのホールに入るのを見て、久我山の生徒さんなのだとわかりました。
 さて、さっそく『死者の書』についてですが、なかなか難解な小説です。ゆえにまずは3回ほど繰り返し読み、さらにその物語の舞台となった時代の文学や歴史にふれてみることがなによりかと思いますが・・・。
 この作品が最初に雑誌に発表されたのは昭和17年のことです。そのころ、折口信夫(著者)は「題材は古典から採っているが、あくまで現代小説なのだよ」と我々によくもらしていました。とはいえ、当時この小説を評することのできる者はほとんどいませんでした。それほど簡単に批評できるような作品ではなかったということでしょう。その中で、先日亡くなった川村二郎の評は的を射たものでした。
 ところで、この国では古代の昔から、戦の後には決まって非業の死を遂げた者たちの魂を双方ともに鎮めることをしてきました。にもかかわらず、近代以降、特に先の大戦にいたっては、はっきりと敵、味方を分けてしまい鎮魂のまつりも我が方にだけといった心の狭さを示すようになってきてしまいました。そうした敵味方をこえた死者への鎮魂の思いがこの小説の執筆動機にはあるのだと確信しています。
 限られた時間のなか、今日は中学高校生もおりますので、この『死者の書』を通じて少し「教育」ということについて考えてみたいと思います。
 作品の中で、奈良時代の藤原家の中将姫をモデルとする「藤原南家郎女(ふじわらなんけのいらつめ)」は、聡明さとひたむきな信仰心を兼ね備えた女性として登場します。しかし、大貴族の娘ゆえ、いわば世間を知らずに在ります。そんな「郎女」に要所で的確な導きをする老女がいます。その存在が「當麻の語部の嫗(たざまのかたりべのおうな)」です。誰も耳を貸さなくなった「嫗」無理強い語りに、清い心を持った「郎女」だけは真剣に耳を傾けます。
 実は、この「嫗」の語る「ものがたり」こそ、神話そのものであり、和歌(やまとごころを表現したもの)の由来を語りつつ、「うた」そのものを包み込んでいる存在なのです。
 この国における「教育」にとって大切なものは二つありました。
 当時、まずは「漢才を『まなぶ』こと」。中国の文学、歴史、政治などを知識としてわが身に取り入れていくこと、その外つ国から学ぼうとする態度は不可欠なものでした。
 しかし、それ以上にもっと大切なものがあったのです。
 それは、繰り返し繰り返し「ものがたり」を読み聞かせることでした。万葉の時代からあった「やまとうた」。その「うた」を核としてそれを包み込んだ「ものがたり」を無理強い語りすること、これこそが「教育」にとって最も大切なことだったのです。その後もずっと伝統的に日本人の魂の在り様を「ものがたり」とともにその中心に置かれた「うた」をも味わうことで、自らの心に付着させつつ肉体にたたき込むのです。そして、この繰り返しが「語り」の言葉の中に宿った「言霊(ことだま)」を復活させ人の心に沁み入っていくのです。
 この態度を『あそぶ』といいました。その『あそぶ』を体現してみせたのが「嫗」の存在だといえるでしょう。
 つまり、「教育」とは、この「まなぶ」「あそぶ」、この両者がうちそろってはじめて本当のものといえるのです。
 しかし、最近はどうも『まなぶ』(「まねぶ」)ことのみが重視され、肝心な『あそぶ』ことの方は忘れ去られてしまったかのような風潮がみられます。しかも、「教育」は学校まかせ、学校もまた知識偏重にとますます『あそぶ』ことから遠ざかっています。
 思うに、こうした『あそぶ』に見られるいわゆる「感染教育」は、学校でというより本来は「家庭」において受け継がれていくべきものなのです。おじいさんやおばあさんからその子へ、その子から孫へとその「感染」は繰り返される「語り」によって自然なされていったのです。しかし、今は各家庭が個別的にバラバラに核家族化してそうした「感染」力を持てなくなってしまいました。
 あわせて、文語を文語の響きのままで読み味わうことのできる人がこの国から少なくなってきてもしまいました。
 「いま何故『死者の書』なのか」―――そのこたえはこうした今のこの国の在り様、「教育」の在り方を思えばこそといえなくはありません。
 
 
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 講演につづき上映された映画『ひさかたの天二上(あまつふたかみ)』(『死者の書』折口信夫原作より)では、刹那の愛が生死の境を越えてふたたび信仰に近い愛となって昇華していく様を「郎女」と「大津皇子(おおつのみこ)の亡霊」との間に垣間見ることができたような気がします。
 この愛、この情。―――それは時代がどう移り変わろうと絶えることなく脈々と引き継がれてきた血流としての日本人の精神(こころ)でありましょう。
 
 その「精神」性を受け継いでいくために・・・
 
   よく『まなび』 よく『あそべ』
 
 この言葉の真意にあらためてふれることのできた一日でした。
 
 会場を後にコートの襟を立てて外に出てみると、鉛色した空から清い白さを保ったひとひらひとひらがわずかに舞い降りはじめていました。

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