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学びて思はざれば則ち罔し @男子部中学1年「私が今、思うこと」.

投稿日2012/2/15

 
 発表を聴いてその場で「私が今、思うこと」を記します。(左)
 司会をつとめてくれた R.K君、K.S君、S.M君(右) 
 
年度の締めとして行われている恒例の「私が今、思うこと」
三学期に入ってから、各クラス内にて全員が発表してきました。
このほど、全ての学年の先陣を切って「中学一年」「男子」がクラス代表による「全体発表会」に臨みました。
身近な話題から国際問題に至るまでその内容は多種多様、その中に今年は「震災」に関わる意見発表が加わりました。
 

◆ K.M(5組)  自転車について
・・・電動自転車の出現によって、人間がこぐ力は三分の一に軽減された。また、バッテリーの性能も進化しているようだ。さらに世界に目を向けてみると、オーストラリアでは「自転車に注意」との標識を至る所で目にする。それだけ利用者が多いのだが、車のドライバーのマナーもよろしく事故は少ないという。さらに起伏の少ない国土をもつオランダでは、無駄を嫌う国民性とも相まってサイクリストが大変多い。ただし、泥棒も多いのが難点だが・・・。ところで、食料廃棄率がきわめて高いといわれる現代日本。そうした現状をふまえて、あらゆる分野で無駄をなくす努力が今こそ求められているのではないだろうか。その意味からも自転車の果たす役割は大きい。
 
〈所感〉
エコがブームとなって久しい。そんななか、諸外国の現状を例にあげつつ環境にとてもやさしい自転車のさらなる利用をさりげなく呼びかけた。その発表の語り口は、まさに自転車をこぐ度に吹き抜ける風のようにさわやかだった。
 
 

◆ Y.W(3組)  箱根駅伝と一年三組
・・・10名で一本の襷をつなぐ駅伝。今年の「箱根」では、花の二区や山登りの五区の走りをみて特に興奮を抑えられなかった。また、復路のスタートが八位以下十三チームが一斉スタートという激戦にも心躍った。この感動はどこから来るのだろうか。おそらく、一人一人が自分のためだけでなく、チームみんなのために走り、チームもまた一丸となって襷をつないでいくその懸命な姿に心奪われるのだろう。転じて我がクラスの有り様もまた「駅伝」に似ている。この一年、それぞれが自分の役割を果たすことで各種の行事を楽しいものとしてきた。互いの絆を大切にしつつ、切磋琢磨していくことがよりよいクラス運営には不可欠なのだ。
 
〈所感〉
昔から和を尊ぶこの国の精神性が生み出した「EKIDEN」。孤独に一人で走りきるマラソンとの違いはそこにつなぐべき一本の襷があるということか。本来、学校のみならずわたしたちの生活には目に見えない多くの襷がリレーされているに違いない。 
 
 

◆ H.W(1組)  東日本大震災
・・・3月11日、午後2時46分、そのときわたしは卒業式の練習中だった。被災地の悲惨な状況がつかめないなか、石巻へ出向いていた母が語る現地の様子や映像をみて目頭が熱くなった。しかし、そんな気持ちも薄れかけた11月、ある一冊の本と出会う。『遺体』・・・現地にて奔走する医師たちの記録だ。その中で特に印象に残ったのは死後硬直が進む「遺体」に向かってある医師が語った次の一言だった。「つらいだろうけどがんばって」。さらに棺に納める際にあっては、「ちょっと暗いだろうけどがまんしてな」。十三歳のわたしが今できることは小さいかもしれない。でも震災を他人事にはできない。だから、せめて買い物のおつりを貯めて募金に充てるようにしている。
 
〈所感〉
「遺体」もまた「人」なり・・・それゆえ「遺体」にも命あり、といったところか。ここに紹介された医師の言葉以上に思いやりに満ちたやさしさがあろうか。こうして、忘れ得ぬ震災という出来事が一人の少年の思いやりの心に火をつけた。
  
 

◆ K.S(4組)  震災と正月
・・・正直、「3月11日」が他人事のように思われる感覚はどこから来るのだろうか。そんな思いを抱えながら新年2012年のお正月を迎えた。そのお正月は、宿題に追われながらお年玉を手にして喜ぶという、いつの年とも変わらぬものだった。しかし、被災地のお正月はどうだろう。そう思い直したとき、今年のお正月のもつ意味がわたしの中で少しずつ変化してきた。わたしの身近に、つねに他人を優先して思いやりを大事にしている献身的な高校2年生のいとこがいる。私には今、あたりまえのように家族がいて毎日の生活がある。そんななかで、今の自分に出来ることは、せめて他人に迷惑をかけないようにきちんと生活をすることなのかもしれない。
 
〈所感〉
正月はハレのとき。一方、日常はケの連続だ。苦しい日々に耐えてこそ正月は特別なひとときとなる。しかし、このたびの震災を体験し、かえって何気ない日常、当たり前な日々の尊さにわたしたちは気づくことが出来たような気がする。
  
 

◆ T.M(6組)  死刑制度の賛否について
・・・わたしは死刑制度に反対である。その理由は3つ・・・まず死刑は凶悪犯罪の防止・抑止には必ずしもならないのではないか。そして冤罪は取り返しがつかないし、死刑もまた殺人に他ならないと考えるからである。とはいえ、賛成派の意見もまったく分からないではない。その後の犯罪の防止につながるはずとの意見もきかれる。たしかに命をもって償うべきとの主張は心情的に理解できるが・・・。それほど死刑制度の是非は難しい問題だ。マスコミの影響を多分にうけた世論は「やむをえない」が大勢を占めているようだが、やはり私はあくまで、死刑制度の廃止論者であることに変わりはない。
 
〈所感〉
冤罪は罪深い人間の過ちといえよう。いずれにせよ、死刑制度の是非は古今東西取り沙汰されてきた難しい問題であることに変わりはない。そこから決して逃げることなく根拠を明らかにしながら自分の意見を主張した勇気ある発表だった。
 
  

◆ A.O(2組)  日中関係について思うこと
・・・現在の日中関係の悪化は、歴史的にみて日中戦争にまでさかのぼる。その戦争で日本軍が何をしてきたか、その過去をふりかえることなくして関係改善は望めまい。また現在、中国はコピー大国などと言われたり、領海侵犯など、目に余る有様だ。つまりは、過去から今にかけて、日中両国ともお互いに悪いところを持ち合わせているのだ。ゆえに、互いに自分の悪いところを素直に認めていくことから始めなければならないのではないか。このことは日本と中国との関係だけにとどまらない。国と国の関係をよくするためには、なによりもその国の文化伝統や国民の考え方を理解するように努めることが不可欠なはずだ。
 
〈所感〉
国もまた、一人の人間と同じである。その人の今の表情から、その人の生い立ちや今後の望みを理解してあげることなくして人間関係はうまく構築されまい。また、国の文化伝統とは、個人レベルでいえば、その人の人間性、いわばプライドでもあるのだろう。 
 

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