全国各地に爪痕を残した野分けの影響から、日延べして行なわれた中間試験も無事に明けた今朝方、通学路の軒先にはたわわな柿の実が青天に照り映えていました。
里古りて柿の木もたぬ家もなし
芭蕉
※古りて(ふりて)…古びて
元禄七年、俳聖松尾芭蕉がそのふるさと伊賀上野の古びた町のさまを吟じたものといわれています。
「桃栗三年柿八年」とも。
柿のひときわゆっくりとした生長からして、各家々にその実りがあるということは、それだけ里の長い歴史を感じさせます。
「漂泊の思ひ」のやむことなく、一所不住な生き方を実践した芭蕉にとっては、対照的にひと処にしっかりと根を下ろし、確かな実りをもたらす柿の存在は、真似のできぬ尊敬の的であったのかもしれません。
人も、その生き方もそれぞれ。
このとき、芭蕉五十一歳。
ほどなく、「病中吟」と前書きして辞世句ともいわれる
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」とよんだのでした。