昨日の7時間目、小講堂にて
女子部高校1年生を対象とした「特別講座」が開かれました。
講師は、本校第31期卒業生でもある金春流能楽師の高橋忍先生。
折しも、今年の「中学芸術鑑賞会」(6月30日)は、なんと「国立能楽堂」(千駄ヶ谷)にて貸切のかたちで行うことになっていますが、この実施にあたっても、先生にはたいへんお世話になりました。
さて、今回の女子部としての特別講座は、「能楽」の歴史について。
観阿弥・世阿弥父子の足跡とともにお話くださいました。
□「音楽の分類の中で、雅楽のもととなる『正楽』に対して、民間で行われた雑多な『散楽』が『猿楽』と呼ばれるようになり、すべての能力を有するもののことを「~能」と呼ぶことから『能楽』となっていきます。とはいえ、それはもともと猿真似をはじめとして皆を楽しませることを目的としたいわば『路上パフォーマンス』のようなものでありました。」
□「観阿弥、世阿弥父子は、かのシェイクスピアより200年も前に、「ストーリー」のある「演劇」をあらわしたことになります。」
□「偶然、ときに42歳の観阿弥、12歳の世阿弥のパフォーマンスが、若き17歳の足利義満の目にとまったことにより、「能」が時の権力者による庇護を受けるようになっていきました。」
□「秀吉もまた、亡くなる10年前に、猿楽に出会います。」
□「奈良の『大和四座』とは・・・
結崎(ゆうざき)・円満井(えんまい)・外山(とび)・坂戸(さかど)のことを指します。
それが、現在では・・・
観世・金春・宝生・金剛
の流派に受け継がれています。」
□「権力者による庇護が強まるにつれ、民間の手から、公式行事としての色彩が強まる中、発生してきたものが『歌舞伎』です。」
□「明治に入り、西洋のオペラに対する日本文化として岩倉具視が『猿楽』を紹介するにあたりはじめて対外的にそれを『能楽』と呼んだのでした。」
□「2001年、ユネスコにより、「能楽」は「世界無形文化遺産」第1号に認定されました。しかし、過去のものという意味合いの強い「遺産」とならないよう、われわれは今後もこの伝統芸能を受け継ぎしっかりと次代に伝えていきたいと思います。」
次回(6月27日)は、
世阿弥の生涯とその残した言葉のいろいろについて
お話しいただく予定です。