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中学1年男子 《私が今、思うこと》 クラス代表発表会.

投稿日2011/2/23

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入学してまもなく1年が経とうとしています。
身体も一回り大きくなり、そして心も、さらに考えることも・・・成長を遂げたでしょうか。
みんなの前で、勇気を出して「今の私」をさらけ出すこと、それが出来ただけでも君たちは立派に正真正銘の「中学生」です。
 
もう、小学七年生なんて、言わせないぞ! (笑)
 
 
 
  《中学1年男子 私が今、思うこと クラス代表発表会》
          1時限   小講堂 にて
 
imgp6261a.jpg 司会をつとめた K君とY君 (ともに1組)
 
imgp6273.JPG 「君の思うこと」に、私はこう思う。
 
◆ DM 君(5組) 「今の世界」
自然は時に人間を悩ませるが、最近は我々人間の方がずっと気まぐれな存在なのではないかと思うふしがある。タイでダイビングした時のこと、くらげの大発生や珊瑚の白色化など確実に「海が汗をかいている」ような悲しい現場に遭遇した。モルティブは今にも海面上昇にともない沈みゆく運命にあるという。私たちはこうした環境破壊の現状を前にしてただ嘆くだけでなく小さなことでもよし、エコバックに見られるような身近なことから始めてみることが大切だ。
 
【評】 「環境問題」というとあまりにその問題の大きさに個人としてどうしたらいいのかわからなくなる。でも、個人が出来ることはもともと小さなことでしかない。身近なことから始める一人一人が集まってこそ大きな山は動くのだろう。一昨年、モルティブ同様海面上昇におびえるキリバス共和国の大統領が本校を訪問した日のことを思い出す。
 
 
   T.M 君(3組) 「満ちていると忘れること」
先日、駅で40代の女性に声をかけられた。「すみません、手伝っていただけますか・・・」目に不自由さをかかえたその女性のかたわらで、私ははじめて他人の役に立っている自分を実感する。それと同時に、人との出会いは「一期一会」の心得がなにより大切であることも。さらに、自分自身に立ち返って考えるとき、私たちは目が見えることで実はたくさんのたいせつなことを見失ってしまってはいないかとおそれを抱く。
 
 
【評】あの名作『星の王子様』のサン・デグジュペリは言う。「大切で、かんじんなものは目に見えないんだよ」と。人の心、思いやり、愛、・・・。だから、私たちは懸命にその気持ちを言葉にしてみたり、態度に表してみたり・・・。その女性には、出会いの瞬間、直感的に「見えて」いたのでしょう・・・T.M君のもっている「やさしさ」が。
 
 
   I.N 君(2組) 「おいぼれ」
私の祖父は、そのとき73歳、刻々とかつての記憶をなくしていく日々をおくっていた。当初は信じがたいその現実に抗おうと祖父と接するも、あるとき、孫の私は「息子」となり、次に「出て行け」とその存在すら認めてもらえず、とうとう「クマのぬいぐるみ」を家族と思い込んでいる祖父の姿を見るにつけ、悲しみと同時に憤りさえ覚えるようになった。身近な人の老いを見届けながら、その先の別れを通じて本当に大切なものとは何かを学ぶ。
 
【評】 かつて見事な訳を残した作家がいる。「サヨナラだけが人生だ」と。「出会い」より「別れ」にこそ、「人生」の機微があるとはなんと的を射ていることか。それでも大切な人との「サヨナラ」は悲しすぎる。ならば、その人と過ごす一日一日をかけがえのないものとして過ごしていきたい。たとえその人が「おいぼれ」て記憶を失っても・・・その人の身体の温もりは昔のままだから。
 
 
   M.K 君(4組) 「整った環境」
実は、整いすぎた環境よりも、自分に合った環境の方が居心地がいいのではないか。そのことは、身近なネコやイヌたちの様子をみていてもよくわかる。おそらく人間も同じ。年末、恒例の大掃除をした。我ながらすっきりとした部屋にいっとき気分も一新、しかし、どこか居心地の悪さをおぼえ、気づけば3日後に部屋は元通りに。このように何事も整いすぎた環境はかえって人間をダメにしてしまうようだ。大切なのは外見よりも中身、勉強もしかり。
 
【評】 私たちは、どうやら贅沢な生き物であるらしい。欲深さはとどまるところを知らない。しかし、「過ぎた」世界はそんな私たちを堕落させるばかり。「理想の環境」を追い求めて自ら努力することと、他人から与えられた「整った環境」に埋没することとは、天と地の開きがある。久我山の「環境美化」は大掃除の日ではない。自分の内面を省みる日なのだ。 「過ぎたるはなほ及ばざるがごとし」。
 
 
    S.O 君(1組) 「なぜ犯罪は起きるのか」
日本の安全神話が崩れて久しい。それは、人と人との「つながり」が希薄になってきたことが主な原因であろうと思われる。そして、その結果として人は孤立化してバラバラになっていき、精神的に不安定の度合いを高めていく。秋葉原で起きた無差別殺傷事件の犯人は言う。「自分の存在を知らしめたかった」と。こうした人と人との「つながり」を求めるには、まず充実した学校教育をおくることがなにより大切なことなのだ。
 
【評】 情報にあふれた現代社会は、遠く異国の今をリアルタイムで知ることを可能にした。しかし、私たちはかえってすぐそばにいるはずの隣人の今を知らずに過ごしてしまっている。本来、人と人とは体温を感じ合える距離を保ちながらその関係性を築いてきたはず。学力だけを身につけたいなら、わざわざ満員電車に揺られて何時間もかけて学校に通ってくる必要はない。学校にはたくさんの「隣人」がいる。

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