◆ 話す
…… 高校1年《弁論大会》 5・6時限 第一体育館
今年も、「思いの丈」をみんなの前で「生真面目に」発表する機会がやってきました。
はたして「久我山」の「青年」たちはどんな「青春メッセージ」を発信できたのでしょうか。
5時間目にお邪魔して、前半の6名の主張に接することができました。
(後半の5名のみなさんについては「演題」のみの紹介になります・・・御免。)
( 1) C.Y さん 「理不尽の連鎖」
1980年に起きた浪人生がその親を殺傷した事件をひきあいに、親から受けてきた理不尽がその行為の元にあるとした上で、親もまた以前に理不尽な目に遭ってきたに相違ないとその連鎖を指摘する。この負のスパイラルからの脱却は、いらだちや怒りといった負の感情を抑え得る「少しの涙」しかないだろうと救いを求める。人の感情を抑制するのもまた人情にほかならないといったところか。
( 2) E.R さん 「決意」
2010年、身内の死という大切な人を失ったことによる虚無の穴へ落ち込んだ経験を切々と語る。しかし、死を意識することは同時に生の不思議に目を開かせてくれるものでもあることに気づく。最後には「生きているそのことだけでも奇跡なのだ。ゆえに一貫したぶれない生き方を追求していきたい」との前向きな哲学的姿勢を叙情あふれる表現で示した。
( 3) R.W くん 「死んで逃げるな、生きて逃げろ」
毎年3万人以上が自殺する現代日本。どんな理由があろうともその選択肢をとることはまかりならんと訴える。当事者たちに望むのはより深く考えること。そして周囲の者たちには上辺だけの同情やなぐさめではなく苦しみを共有することを求める。喜びを共有することはたやすいが苦しみといった負の共有はとても勇気を必要とすることをあらためて痛感。
( 4) N.A さん 「温故知新」
昔の事物が軽視されがちな現代社会を憂う。「おばあちゃんの知恵袋」や「おふくろの味」といった伝統が途絶える要因は、急速に進んだ「核家族」にほかならないと分析。さらに祖母の夜警を手伝った経験から、年長者と接することで自分の未熟さを思い知ることに。今自分の身の回りにある事物のすべてをあたりまえと思わない謙虚さこそが自己存在を見つめ直すことにつながるとの歴史的視点を披露。
( 5) N.N さん 「『愛』とは何か」
世の中にはいろいろな「愛」があるとした上で、全てに共通するのは、その対象に対する思いの「深さ」であり、単なる「好き」というものとは異なると主張。さらに「愛のムチ」でもある「厳しさ」もまたひとつの形であることを強調しつつ、対象とのつながりを保つ「愛」こそが「心の文化」であると帰結。
「愛」を決して個人の所有物とせずに、あくまで他者との関係性の中でとらえた純粋さに心洗われる。
( 6) Y.M 君 「祖父母に会って思ったこと」
この年末年始、祖父母に会ってその「老い」を実感。それは同時にそう遠くはないだろう「死」を予感させるものでもあったと述懐。しかし、人は寿命という限界があるからこそ生きることに懸命になれるのだと開眼する。そして、かたわらに誰かがいてくれて迎える死が理想であると主張。人間関係が希薄になりゆく現代社会のありように一石を投じた弁論なり。
( 7) H.I 君 「それぞれの感じ方」
( 8) K.Y 君 「自由の代償」
( 9) H.T 君 「世界平和」
(10) R.S 君 「弟の言葉」
(11) N.T 君 「Brosdcast yourself」