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【雑感】 「実力」、「教養」を身につける「勉強」とは・・・.

投稿日2011/2/8

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今日は、高校1年生を除き、「実力試験」が行われました。
直前まで学習した内容の定着度をはかる要素の強い「定期試験」と異なり、
「実力試験」とは、その果てに立派な花を咲かせる根幹が
どれだけ具わっているかを試す機会です。
 
ところで、そもそもその「実力」とやらは何のために、そしてどうしたら
身につくものなのでしょうか。
 
話題となった『下流志向』の著者である
内田樹は、「マップする視点」と題した文章のなかで
次のような示唆を与えています。
 
・・・空間的に自分が「どこにいるか」ということは比較的簡単に分かります。しかし、時間の流れの中のどこに自分はいるのか、ということは「勉強」しないと分かりません。
 時間の流れの中で自分を位置づけること、それが「歴史的なものの見方」というものです。・・・これが「思考することの基本とされています。
 たとえば、自分たちの世代を含んだ日本の戦後の文化とか、明治以降の文化や日本の近代以降の中で自分はどういうポジションにいるのか、そういうことを考えるのが、歴史的な発想法です。でも、そういう視点を取る人は、意外に少ないのです。・・・
                              『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫より)
 
奇しくも、この「歴史的なものの見方」、「歴史的な発想法」ということについて・・・
 、
明日発行の『校報』(第621号)の巻末コラム「まなびのみち草」にて、
世界史担当の○○先生は、2009年度の東大後期試験から「フランスの歴史家コルバン氏のインタビュー記事」を題材にした小論文問題を例にとり、
「旧来の歴史学が政治史・事件史を重視してきた一方、コルバン氏は人々の日常生活から歴史を探る社会史を生んだフランス・アナール学派に属するという点に、第一に着目せねばならない」とした上で、
「東大は、文系理系を問わず、歴史的教養を身につけた学生がほしいと主張していると思える。」と結論づけています。
 
こうしてみると、今、本当に求められている真の「実力」とは、
近代以降推し進められてきた「分化」「合理化」「効率化」の波から
引き潮に乗ってふたたび「統合」「総合」の大海原へ回帰しての
全人的「教養」であるといえそうです。
 
それは平たく言うなら、
文系にあっては自然科学を、
一方、理系にあっても人文科学を、
そしてともに社会科学を学べ
との求めにほかならないのではないでしょうか。

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