師走に入り、期末試験目前となりました。
こういう時期というものは、いつにもまして「自分自身」のことに精一杯で、
なかなか周囲への配慮が行き届かなくなってしまうときでもあります。
そのせいでしょうか、このところ、残念な振る舞いが校内外にて目立っています。
深大寺 境内 にて
少し落ち着いて私たちは自らを省みる必要があるように思います。
そんなときだからこそ、傍らに「この一冊」はいかがでしょうか。
『人間の器量』 福田和也 新潮新書
優れた人はいる。感じのいい人もいる。
しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。
戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、
人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか―。
その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。
『BOOKデータベース』より
ちょうど一年前に発刊された本です。
中では、何人かの「先達」をあげてその「器量」を探っています。
その「あとがき」にて筆者は・・・
器量というのは、水平に広がるものです。今の世間は高い低いが人の価値尺度の基準になっています。高学歴とか低収入とか。・・・偏差値とか。垂直ばかり気にしている。・・・やみくもに上を、より高いものだけをめざしても人の器は育ちません。異質なもの、未知なものと触れ、感応する力が必要です。若い時は、自分を限らないでいろんな場面、機会に晒す事が大事なのですが、これは若い人だけの話ではありません。器が大きいと云われるほどの人物は、生涯かけて、自分を新たな場所に立たせ続けてきたのではないでしょうか。・・・