閉じる
この記事は1年以上前の記事のため、内容が古い可能性があります。

「私の仕事から」林真理子先生 : 父母の会主催 講演会.

投稿日2010/11/20

imgp5331.JPG

過日お知らせした、父母の会主催〈講演会〉が15時から約1時間にわたり行われました。
 
    平成22年度 父母の会主催 講演会
  「私の仕事から」  林 真理子 先生(作家)
 
当初は、小講堂を予定していましたが、予想をはるかに超えて800名以上の申し込みがあり、
第一体育館に会場を移して行われました。
 
作家として、娘として、妻として、そして母として・・・
ご自身の生い立ちから「物語」をドラマチックに紡ぎ出すようにお話くださいました。
まるでペン先からすらすらと文字がこぼれ出るかのように話題が展開し、
随所にユーモアを交えての講演はあっというまの約一時間でした。
 
実に・・・「懸命な、母は強し」・・・でした。
 
■ ごあいさつにかえて
山梨出身のわたしは、ラグビーの名門H川高校を出ました。ちょうど今グランドでラグビー部が練習しているのを見て、当時を思い出しました。そんなこともあって、「久我山」は馴染み深い学校でもあります。
 
家に帰れば、中学生の娘の母親ですが、最近は親を小馬鹿にするようになり、歯ぎしりするような毎日を送っています。夫に相談しても、「お前がなかなか早く帰ってこないからだ!」と真剣に取り合ってもらえません。(笑)
 
■ 愚鈍な娘と言われて
大正生まれの母は九十六歳。短歌を詠むことでボケずにいられるようです。そんな母は、幼い頃から私のことを「くやんでもくやみきれない」と嘆き、「愚鈍なむすめでした」と全面否定するばかり。なにもそこまで言わなくても、と恨みもしましたが・・・。
 
上京後、就職氷河期にあったことも手伝って、ことごとく面接で落とされるなか、あらためて母の言葉が身に沁みたのでした。
 
■ 「書く」こととの邂逅
大学を出たものの、池袋の四畳半アパートで一人暮らしをしながら、日払いアルバイトでなんとか食いつなぐ日々。「自分にはいったい何ができるのだろう」と煩悶する二十代後半に、ひょんなことから「コピーライター」の仕事を突破口として「エッセー」を手かげるようになり、ついで「小説」へと「書く」ことに目覚めていきました。
 
明日までに30枚といった日々を送る中、最近母からは「まりちゃん、性格変わったね」と言われ、うれしいやら、かなしいやら。
 
■ 「中学生」 今昔
現在、各界で活躍する方々とのボランティアグループによる「出張授業」に私も参加しています。全国の中学校を廻るなか、私が担当する「国語」の授業では、本の「書評」をコンパクトに書くという作業をさせることをしているのですが・・・。
 
今の中学生は、本当に、「書けない」、「話せない」ですね。だから、「パフォーマンスの力」が不足しているということを痛感させられました。
 
かく言う私もあらためて自分の中学生時代を思い返すとき、「いい先生に出会えた」こと、「(愚鈍なむすめといわれはしたものの)母親を悲しませてはいけない」と肝に銘じていたこと、このことがその当時の自分を支えていたような気がします。
 
ある雪が舞う日のこと、口をぽかんと開けてその雪のひとひらを受け止めていたとき、担任の先生から「おまえ、なにやってんだ!」と小馬鹿にされて、いたく傷ついた思い出も。
それでも、高校時代、ラグビー部の先生から、「お前はおもしろい(人物だ)。この代から将来有名人になるのは、F原君(ラグビー選手)と林さんだ」と持ち上げられたこともありました。
 
■ 母親としてのタブー
こうした若かりしころの苦労話も、所詮は七十年代のこと。なかなか今の時代を生きるむすめにはすんなりとは通用しません。
 
「これほど忙しく働きづめでいるのは、すべて『あなた』のためよ」といった忙しい母をアピールするのは決して得策であるとはいえません。あくまで、「私はこの仕事が大好きなのよ」と頑張る母をそのまま表現すること、それが大切だと思います。
 
■ 作家として
これまでに、250冊ほど書きました。
そのネタ探しは、常に神様にすがるような思いでいるうちに、いろいろな人との出会いからそのきっかけを掴んできたように思います。
  ( その後、『下流の宴』 誕生秘話 がしばらくつづきました・・・ )
それにしても、『下流・・・』ですが、反響は大きかったのですが、売り上げはさほどでも・・・(笑)。やはり、暗い結末がいけなかったからかしら。(笑)
 
作家というものは、自分の好みを超えて、いろいろな価値観をもった「人間」を描かなければならない仕事だと思っています。
 
学生のころ、古典が苦手だった私に、『源氏』の仕事が舞い込んできたときには、(源氏という男性の立場ではなく)不遇な女性、「六条御息所」の「一人語り」という体裁で挑戦してみました。
 
■ 仕事も遊びも、一生懸命
思いがけなく、ミュージカルの舞台に立つという機会を与えられて、(本業ではないものの)精一杯その練習に取り組み、頑張ったからでしょうか、そのラストステージでは感激のあまり涙がとまりませんでした。
 
思うに、仕事そのものも、遊びであっても、親が、母が、一生懸命に、そして楽しく生活をしていさえすれば、子どもというのは悪くはならないのではないでしょうか。
 
****************************************
 
その後の「Q&A」から・・・
 
Q:流れるようなお話でしたが、原稿をお持ちなんですか?
A:原則、いつもノー原稿なんです。だいたいその時の「相手」の様子を見ながら話題を決めていきます。今日は私より若い世代の方が多いなあとか。(笑)
 
Q(本校の高校女子生徒から):日大芸術学部に進学したのはなぜですか?
A:当時、自分の力の及ぶ範囲の大学は、みな地味で、その中で唯一もっとも派手なイメージをもっていたのが日芸でした。(笑) また、学系も異彩を放っていましたから・・・はっきりいってゆるい考えかたでした。でも、その後私のあとにずいぶん執筆業にかかわる方々も出ていますよ。國學院には古典が苦手でおよばなかったなあ。(笑)
 
Q:最近のつらいことや、幸せなことは?
A:夕焼けのそらを眺めながら子どもと歩いているとき、仲間とおいしいお酒をいただいているとき、幸せを感じますね。
反対に、夫に辛い思いをさせているなあ、と思うことでストレスをためているのがなによりツライですね。(笑) もっとも幸せすぎる家庭からはいい「作品」は書けませんから・・・(笑)。いかにマイナスをプラスに転ずるかですね。
 
Q:お母様はお孫さんであるお子様に対してどう接していらっしゃいますか?
A:どちらかというと、孫よりもむすめである「わたし」の方をたててくれているような気がします。
「あなたのお母さんはとても忙しいのだから迷惑をかけてはいけませんよ」などと忠告したり・・・これが母の私への愛情だと感じています。

前の記事中1校外学習 〈星座と歴史の散歩〉 @府中市郷土の森博物館
次の記事【速報】高校男子バスケットボール部 都大会 準優勝!!