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〈法と法学について〉 中2・3特別授業.

投稿日2010/10/25

中学2・3年生を対象に行われている特別授業。
本日は、6月の〈東工大サイエンスキャラバン〉に次ぐ第二弾が行われました。
 
このたびは、社会科学の領域から
一橋大学大学院 法学研究科
横山 潤 先生をお招きして
〈法と法学について〉の講義をうかがいました。
 
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先生は、久我山の卒業生で一橋に学んだH君やTさんの存在を通じて
本校にたいへん興味・関心を寄せていただいたこともあってこのたび足を運んでくださいました。
常に笑顔を絶やさずフランクに語りかけるそのご様子から、やさしいお人柄がうかがわれました。
 
さて、いざ「法律」とか「法学」ときくと、分厚い『六法全書』が頭に浮かび、「堅苦しく難しい」といった先入観にとらわれてしまうところですが、今日の講義は具体的な事例や比喩的な内容を引いてたいへんわかりやすく「法律」の世界への扉を開いてくださいました。
 
◆ 自己紹介
□ 専門は「国際私法」です。「国際法」は国と国との取り決め、それに対して「国際私法」とは、たとえば国際結婚にかかわることなどを扱う私人同士の取り決めです。
□ 四国の松山出身で、みなさんと同じように中高一貫校で過ごしました。ちょうど中間試験が終わったとのことですが、試験後の鬱々とした気分は今でも忘れられません。(笑)一学年200名ほどの学校でしたが、英語だけは習熟度で3段階に分かれていました。中3で一番下のクラスであったことは恥ずかしい限りです。それでも当時上智大出身の江戸っ子N島先生がおっしゃった「(英語は)2ヶ月集中して勉強すれば出来るようになる」とのアドバイスに励まされ挽回しました。
□ また、理科はとにかく苦手でした。中1のとき、必須の凸レンズとロウソクの実験にあっても、「そんなのどうでもいいじゃないか」ととにかく後ろ向きでした。(笑)
□ もともとは、商社マンへのあこがれが強かったんです。そのきっかけは、中学3年の時に読んだ『どくとるマンボウ青春記』(北杜夫)でした。まだ読んだことのない人はぜひ読んでみてください。
 
◆ 法規範の仕組み
□ 法規範の構造は、必ず「もし~ば」という「要件」に対して、「~ねばならない」といった「効果」をもたらすものとなっています。
□ また、法律の勉強はそのほとんどが「ことば」の意味を明らかにすることにあります。たとえば、「人が~であるとき・・・」とあったときの「人」とはいったいいつの時点からの「人間」を指し、いつまでの範囲を言うのかといった「人」の概念を模索するのです。
 
◆ 法規の種類(公法と私法)
□ 国家と私人との関係が「公法」、私人同士のものが「私法」となります。
□ たとえば、自動車で歩行者に怪我を負わせてしまったケースを考えてみましょう。ドライバーに対してどんなことが生じるかといえば、「刑罰」や「免許停止」に加え、「損害賠償」も発生します。その際、前二者が「公法」によるのに対し、後者は「私法」に基づいて判断されるのです。
 
◆ 法律の難しさ
□ 確かにこの国において、法律は「難しい」というイメージが根強いようです。それも無理はありません。なぜなら、近代国家の夜明けとともに法律もまた外国からの「輸入品」であるからです。
 
◆ 権利と義務
□ 法律は、すべて「権利と義務」という概念でとらえることができます。しかし、日本の国は、伝統的に「義理と人情」で成り立ってきたという経緯があります。
□ この「権利と義務」という割り切りを実社会の出来事に当てはめて考えられるかによって「法律」がおもしろくなるかどうか決まります。
 
◆ 「うち」と「そと」
□ 日本の「義理と人情」はまさに「うち」の世界で成り立つものです。あの人気を博した「ゲゲゲの女房」に多くの視聴者が郷愁を覚えたのは、そうした水木ファミリーが醸し出す「うち」なる世界なのだと思います。しかし、法の世界でとらえ直してみれば、「水木しげる」という個人とそのファミリーの一員とされている「アシスタント」は、あくまで「あかの他人」としての関係に過ぎないわけです。これこそまさに「そと」の関係といえましょう。
□ よく日本語で「わが母校」とか「わが故郷」といった言い方をします。それに対して「武蔵野の台地」という言い方もあります。この「が」と「の」の使い方の微妙な差は、その所有感の強弱を反映して、「うち」と「そと」の相違を示す典型といえましょう。
□ 昨今の幼児虐待事件などをみるに、あらためて公的機関がそうした恐れのある「家庭」に入り込むことを余儀なくされています。これなどは、本来「家庭」や「家族」といった「うち」なる世界の独自の「ルール」によってバランスが保たれていたものが、「そと」の論理をもって関与しなければならなくなってしまったことを意味しています。
 
◆ 法学の「適性」について
□ 法律とは、社会生活上の「役割」の問題といってもよいかと思います。「父親」としての、「母親」としての、といった具合に「○○」としての「役割」が重要な意味をもってきます。ちょうど、幼児期に「○○ごっこ」という遊びをしますが、これは人間が生まれて初めて「役割」を学習する機会であるということができましょう。
□ 端的にいえば、「真善美」のうち、「悪」に対応する「善」に関心の強いものはその適性があると判断してよいでしょう。もっとも、「親分から命ぜられてしたこと」ゆえに「子分」が無罪になるといった「真偽」を超えたアメリカの法解釈や、実用一辺倒のドイツの法律にたいして、かっこよさ(美醜)を価値基準とするイタリアの法秩序のようなものも存在しますが・・・。
□ もっとも、「法律」を「おもしろそう」だからという観点だけで済ますわけにはさすがにいきません。法のプロは、ダブルプレーをとれるチャンスが10回あったら、その10回とも成功することが求められます。しかし司法試験には、そう易々とダブルプレーをとれない「仕掛け」が潜んでいるのも事実です。
 
◆ 法学の「有効性」について
□ かつてノーベル賞を受賞した生物学者、利根川進さんが「科学に国境なし」とおっしゃいましたが、「法律」には残念ながら「国境が厳然と存在する」のです。つまり、それぞれの国で独自の法世界があるということで、普遍性を持ち得ないという点で、地域的・空間的限界をもっているのです。外国で博士号を取得した科学者が母国に戻ってその領域を生かすことが十二分に出来るようには、法学者はなり得ない宿命を負っています。それほど、「法律はローカルなもの」なのです。
□ また、「法律」は時間的な限界も併せ持っています。つまり、「法律」は時代によって刻々と変化を遂げるものなのです。
□ とはいえ、法律の基本的な考え方については、変わらない部分が多いので、(空間的にも時間的にも)アップロードは可能ですが・・・。
 
◆ 若い人には・・・
□ 今日の講義にでることを教授会で話したらその場がどっとわいたんです。そのくらい「法学」は究極のところ、人生経験の浅い若い人にはどうしても不向きであるということがいえましょう。
□ ただし、「ものの見方を養う」ための「基礎」がしっかりした学問であることはまちがいありません。

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