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北原照久氏 久我山祭講演 『夢の実現』.

投稿日2007/10/2

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先日の久我山祭第2日。
高校3年生対象の記念講演会が開かれました。
 
今年の講師は、ブリキのおもちゃコレクターとして名高い
北原照久氏。

なにはともあれ、そのポジティブな語り口に
この世のすべての元気とやる気を注入していただいた講演でした。

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まずは、氏の母を追った特番『グレートマザーストーリー』のDVDを鑑賞。
この母にこの子あり、を実感することに。
その昔、非行に走り中学を退学処分となった際、母はこう言ったそうだ。
「お前は、それでもタバコだけは吸わないいい子だねえ!」と。
究極の誉め殺しである。

そして、H高校になんとかぶる下がって入学した氏は、
めずらしくテストで65点をとった際に、恩師となる運命的なひとりの教師から
「おまえは、やればできるじゃないか」と励まされることに。
これまた、大げさなまでの誉め殺しである。

しかし、いずれのエピソードも、氏にその後の生きる原動力となる
ポジティブシンキングを植えつけることになる。

「加山雄三に会いたい!」
「サンダーバードを買いたい!」
「おもちゃ博物館を建てたい!」

周囲の者が、
「そんなことできるはずがない」
と、どんなに笑い飛ばしても
常に夢の実現に向けてその夢を何度も口にしてきた。
思えば、「叶う」という字は、自分の夢を「」回も「」にすると書くのだ。

19歳で欧州オーストリアへ。
そこで目にした、何十年という歳月を経ていまだに現役として
キッチンの棚に並んだ鍋をはじめとする食器類。

《自分にとって愛着のもてるものとは何なのか》

この経験が、その後のブリキのおもちゃの収集への動機づけとなった。
いわば、「物の語り部」北原照久氏の誕生の瞬間である。

とにかく、スケールの大きな方でした。
それでいて、繊細。

でなければ、
「親孝行は親のためではなく自分のためのもの。」
などとは、なかなか言えたものではないだろう。

最後に、いったんマイクを置き、生徒代表から花束を贈られた後、
あらためてマイクを手にしてこう付け加えた。

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「いろいろなところで講演をしてきたが、
君たちは、本当によく人の話をきちんと聞いてくれた。
久我山の生徒たちは、すばらしいですね。」

この日、氏の口から出た、母親ゆずり、恩師経由の「誉め殺し」の一言であった。(笑)

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