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「いじめ」について考える@男子部中学2年〈特別授業〉.

投稿日2016/11/1

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そもそも「いじめ」ってなんだろう?

  どうして「いじめ」はおこるのだろう?
  なぜ「いじめ」はなくならないのだろうか?
  それでも「いじめ」をなくすことはできないのだろうか?
 
今日は、男子部の中学2年生を対象に、弁護士の先生にお越しいただき、特別授業〈いじめについて考える〉を実施いたしました。
……学校生活では、みなさん一人ひとりの「安心」と「自信」と「自由」が保証されなければなりません。
しかし、いったん「いじめ」がおこると、いずれもが侵害されてしまい、生活そのものがまともにおくれなくなってしまうのです。
昭和50年代後半に実際におこった事例では……
ある特定の中学2年生の男子がクラスメイトからプロレスごっこやパシリを強要されたりすることにはじまり、しだいにロッカーに給食が入れられたり口の周りに髭を落書きされ廊下で踊らされたりするまでにその行為はエスカレートしていきました。
その間、本人は「やめて」とは言えず、いつも笑ってみせるしかなかったといいます。
そして、クラスでは「葬式ごっこ」と称して「〇〇君へ さようなら」と書かれた色紙にみんなが一言ずつ寄せ書きするまでの行為に及びました。
その後、とうとう〇〇君は自ら命を絶ち、かえらぬ人となってしまったのです。
この事件後の調査からあらためてわかったことは、いじめをした人とされた人とでは、その言葉や行為についての感じ方やそのときどきの気持ちに大きな違いと隔たりが見られるという点でした。
このことが、「いじめ」というものの大きな特徴であり、むずかしい部分でもあるのです。
人の心をひとつのコップととらえてみるとき…
「いじめ」につながるような小さな言動も、一滴また一滴とその人の心の奥底にたまっていきます。
そして、いよいよ「キモい」「うざい」「死ね」といった最後の一滴によって水はあふれ、最悪の事態をまねくことになってしまうのです。
今は、インターネットなどの普及もあって、学校という時間や場所に限らず、いつでもどこでも友だちとつながることができる便利な時代になりました。ということは、いつでもどこでも「いじめ」はつづくということでもあるのです。
人権は先に述べたように、安心と自信と自由によって支えられています。
「いじめ」はその人権を侵害する行為であることをあらためて認識しなければなりません。
そして具体的には、「いじめ」をしている者をみんなで「とめる」こと、さらに「いじめ」を受けている者をみんなで「支える」ことをしていくしかありません。
まずは、「私は何もできない」「私には関係ない」、こうした考えや思いを断ち切ることからはじめてみてほしいのです。
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