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中学1年男子 「私が今、思うこと」 クラス代表発表会.

投稿日2010/2/24

中学生としてはじめて迎えるお正月を機に、
「私が今、思うこと」を掘り下げて、
その内容を、各クラス内で全員発表してきました。
 
「話す」と「書く」とは大違い。
その両者を結ぶものは「考える」こと。
 
日常は薄っぺらいやりとりに終始することも多い仲間の
ときに生真面目な考えにふれて、自分もまた人としての幅を広げられたなら・・・。
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本日の6時間目、小講堂にて
男子各クラスの代表者による
「全体発表会」が催されました。 
enms.JPG 〈 司会 : M.S君(2組) 〉
 
 ↓ 発表の様子は、次ページをご覧ください。
 

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◆ 6組 K.K   人の心と戦争
人はなぜ戦争をしてきたのだろうか。一つには領土の奪い合い、さらには一揆に見られる怨恨。また日清日露にみられるような国力を誇示するためとの動機もあった。それもこれも底流には、怒りや悲しみといった人間の感情のもつれがある。はたしてこの連鎖(ループ)を食い止めることができるのだろうか。仮にできないとしても、争い後によりよい関係改善を目指す心がけが肝要だ。そのことは、我々の身近な人間関係にも言えることであろう。
(所感)
「争い」をゼロにするとは、これまでに繰り返されてきた歴史を無視した理想論に過ぎないのかもしれない。ゆえに、あくまで「争い」の起こりうる危険性を前提にした上での解決法を探った点で、その現実的でかつ前向きな姿勢は高く評価できるところだ。
 
 
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◆ 4組 N.O   戦争の話を聞いて
今は、植物をこよなく愛する83歳の祖父。そんな祖父もかつては特攻隊員だった。明るくふるまうその陰に語りたくとも語り尽くせぬ暗い過去が潜んでいる。「生き残ってしまって、(死んでいった戦友たちに)申し訳ない」との祖父のつぶやきに、いまだ戦争は終わらずに続いていることを実感してやまない。ならば、私はどうすべきなのか。多くの犠牲の上に成り立つ人生を大切に生きてゆくこと、そして、二度と戦争を起こしてはならないということ。
(所感)
どんな「過去」も時間の経過とともに「美化」されてしまうものである。がしかし、毎年8月の戦争特番を前に彼の「祖父」が「(実際の戦争は)あんなもんじゃない」と憤慨したことは、この世に「美化」も「風化」も許してはならない「過去」というものもあることを物語っている。
 
 
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◆ 2組 S.K   家族への感謝の気持ちを持って
小学校2年生から始めたサッカー。順調にその歩みを進めてきたが、昨年、はじめて靱帯損傷という大きな怪我を負ってしまう。全治5週間。その間、家族には迷惑をかけ通しであった。それでも献身的に私のリハビリを手伝ってくれた父と兄。おかげで現在、ふたたび大好きなサッカーができる幸せをかみ締めている。いつの日か大きくなったとき、そんな家族への恩返しを果たしたい。
(所感)
空気のような存在である「家族」。ゆえに、いつもそばに居て当たり前なのだが・・・。その大切さを知ることになるのは自らが逆境に追い込まれた時に限られているとはなんと皮肉なことか。それでも、感謝を知らずその「空気」を吸い込み続けるよりはずっとましなのかもしれない。 
 
 
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◆ 5組 K.F   優先席について
電車内等に設置されている「優先席」は、はたして必要であろうか。私は断固として「不要だ」と言いたい。ただでさえ、そんな「優先席」にも関わらず、傍若無人な振る舞いを平気でしているわがままな若者も多い。かえってそうした座席の区分をしないことで今失われているところの真のコミュニケーションを実現する力がつくはず。ところで、私は電車そのものが嫌いだ。なぜなら目的地まで到達することがないから。そんな私もわがままか。
(所感)
たしかに、優先するしないは、席の有無に頼ることではなく、自分自身の心のあり方にかかっている。コミュニケーションとは、とかく「話す」ことのように思われがちだが、実のところ、相手の言うことをきちんと「聞く」ことにほかならない。ここでの「聞く」は、相手の身になって考えることと同義であろう。
 
  
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◆ 1組 G.M   面倒臭い
宿題も仕事も、そしてこの発表も、すべてが「面倒臭い」!しかし、大人になってからもこのセリフを吐くようではこころもとない。ではどうするか。適当にはぐらかすか、あとにまわすか、それともあきらめるか。どれも、その場限りだったり、気づけば目前に迫っていたり、その後の人生に大きく影響を残してしまったり・・・。大事なことは、やはりおそれずに「ぶつかる」ことと「つづける」こと、そして決して「無理をしないこと」を加えたい。
(所感)
加齢臭の正体は、「面倒臭さ」か。なにはともあれ、素直で正直な述懐は好感がもてる。決して面倒くさがらず、最後の最後までその打開策を探りつづけたその態度は立派である。加えて、あまり力みすぎるのもよしあしということで「無理して背伸びをしない」とは実に等身大の意見だ。
 
 
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◆ 3組 K.Y   心に打ち込む
剣道には他のスポーツシーンにありがちなガッツポーズはない。なぜなら、それは相手を死傷せしむ真剣勝負であるからだ。かつて、自分では「イッポン!」となる確信を持ったメンがまったく評価されないという苦い経験をもつ。何が足りなかったのかを教えてくれたのは昨年の11月に観に行った「全日本」大会。どんなにいい決まり手でもあくまで相手の心を動揺させてはじめて「イッポン」となるのだ。つまり、相手の心にまで打ち込んでこそである。
(所感)
心の動揺が、身体の動揺を生むとは、真理なり。私たちの「心」と「身体」とは、表裏一体化したものなのだろう。ゆえに、身体の、技術の、鍛錬以上に、メンタル面の強化が不可欠となる。本来、「道」のつく武道などは、すべてにわたり「心」と「心」のたたかいなのだ。

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