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【お知らせ】 原点回帰 @ 6/14 《武道大会》 :男子部高校3年.

投稿日2016/6/10

来週に迫った恒例の男子部高校3年生対象の「武道大会」。
今年は、場所を校内から「東京武道館」に移して行うことになりました。
 
 
    平成28年度 男子部高校3年 武道大会
 
  日時 6月14日(火) 8:30~14:30(予定)
  会場 東京武道館  ※アクセスは こちら
  時程  8:45 集合
      9:00 開場
      9:30 開会式
     10:00 試合開始
     13:00 閉会式
     14:30 解散
 
 
とはいえ、この変更は単にそれに適した場を求めてというものではありません。
思いかえせば、ダブダブの道着に身をつつみ、帯の締め方もままならない状況から、組み合うことなど夢のまた夢、ひたすら受け身を繰り返した中学生のころ。
それから、身体も大きくなるにつれ、しだいに立ち技や寝技を身につけて仲間と切磋琢磨する日々。
そうして迎えた、集大成として行われる「武道大会」です。
 
折しも、昨日、卒業生で金春流能楽師の高橋忍氏とお話をする機会がありました。
そのなかで氏は「稽古」の意味についてふれ、能楽も武道も、同じ「道」を究めんとするプロセスはすべて「練習」ではなく「稽古」であって、先人の教えにふれることを通してみずから考えることであり、それゆえに教え導いてくださる師はもちろんのこと、ともに「稽古」する仲間への礼儀を決して欠かしてはならないのだと…。
 
はたして、長年にわたり積み上げてきた柔剣道の「稽古」を通じて、「久我山健児」たちは何を得たのでしょうか。
大会当日は、各クラスの代表たちの闘いぶりのなかから、その一端を感じることができればと今から期待に胸がおどります。
 
   ********************************************
 
今は昔。
本校における武道やまさに産声をあげたばかりの武道大会についての歴史を「記念誌」の中からひも解いてみました。
そこに脈々とながれている精神性を感じていただければ幸いです。
原点回帰として新たに生まれ変わろうとしている「武道大会」に向けてのこの機会に、ぜひご一読ください。
ここにもまた、今のこの世相を見据えたかのような学園を生み育てた先人たちの鋭くも尊い先見性をうかがいしることができます。
 
 

 
  
創立15周年(S34)体育大会演武  
■柔道の正課採用と部室の新設
 本校が柔道を正課としてとりいれたのも、この三十年の十月で、昭和三十八年、文部省が高校における柔・剣道、相撲を正課として認める、はるか以前であった。礼儀作法の体得、技にのみ走ることを戒め、柔道の真髄の一端なりとも知らしめようとするところに、その目的はあった。三十一年四月、日本柔道界の最高峰に立ち「不敗の小さな巨人」と称えられていた三船久蔵十段を初めて迎え、講演と実技披露の会を開いた。この会は三十一・三十二の両年は、大学大講堂において全校生徒を対象として行われたが、三十三年からは新入学の高校一年生を対象に本校で開かれ、以後、十段が八一歳で逝去される前年の三十九年五月まで毎年続けられた。十段はその度ごとに、柔道修行の究極の目的は、自己を完成し、世を補益するところにあることを説かれ続け、同時に入神の技を披露された。
 こうした中で、三十二年、校内柔道大会が初めて開かれ、以後年間行事の一つに加えられて現在に至っている。また、近隣の中学校から選手を招待しての招待柔道大会も、二十八年から三十七年まで一〇回にわたって開かれた。
 
三船久蔵十段立ち姿 三船久蔵十段講演会近影  
 
■施設の整備拡充と柔道場等の完成
 その三十三年には、更に校舎内外にわたり施設の拡充がみられた。まず、北側校舎の西端に、生徒ホール(現「学習センター」付近)が開設された。綱島和一郎図書館長の箴言「親しんで乱れず、楽しんで噪がず、胸襟を開いて歓を通ず」が壁に掲げられ、生徒の日常生活における憩いの場として親しまれたほか、弁論大会、夏期作品展、美術展、書初展などの会場にもなった。(中略)
 続く十月、柔剣道場に二分されてきた武道場(現「文科会館」前広場)は大改修工事が施され、床全面にスプリングが入り、ビニール畳二二四畳敷きの一大柔道場として完成、面目を一新した。これにより、既に正課採用の授業、生徒数の増加にも十分応じられることになった。
 また、柔道場の西側(現「文科会館」前通路付近)に矢道を設け、南に宮殿造りの射場、北に垜(あずち)を築いた弓道場が完成したのもこの三十三年秋で、その道場開きは、矢渡之儀、古式射礼など古式の作法に則って進められ、國學院大學及び久我山高校の弓道部全員による礼射、板割、金的が行われて無事終了した。
 
S33当時の柔道場 
 
■体育施設の拡充
 佐々木校長(故名誉校長 平成二十三年四月没)は、かねてより久我山教育の質を高めるには
、教員自身がより密度の濃い教育をやっていくのはもちろんのことであるが、施設を充実することが、質の密度を濃くすることにつながる、という考えをもっていた。その方針を打ち出すべく、体育施設充実が図られたのが、昭和五十年代といえる。
 昭和三十四年に完成した体育館は、もはや手狭となり、第二体育館の新設が強く望まれていた。(中略)
 この新体育館(現「第二体育館」・昭和五十三年完成)は、フロアを立体的に使うことができるので、体育授業、部活動、学年単位の集合や講演など、その利用の範囲は広く、体育授業時に、武道の正課は従来は柔道のみであったのが剣道の授業も可能になり、昭和五十四年度(高校)一年生より武道の正課として剣道が加わり、従来からの柔道との選択が可能となった。 
 
              〔『國學院大學久我山中学高等学校 五十年史』(平成八年発行)より〕

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