まだまだ幼さの残った入学したての彼女たちも、はや三年。
今日の全体発表会では、中学最高学年としての確かな心の成長を感じることができました。
そんな代表の6名に共通していたのは、
他からの受け売りや根も葉もない空論ではなく、
あくまで自分自身の体験に立脚した自らの言葉による発表であったということ。
しかし、こうして自分の体験を語ることは、同時に身を削るような痛みを伴うものでもあります。
それを敢えて自らに課した勇気には敬意を表しつつ、それぞれの発表の中から印象に残った「言の葉」を拾い集めてみました。
(以下、発表順)
女子部中学3年 《今、私の思うこと》全体発表会 6時限 小講堂
司 会 N.Iさん(2組)・A.Yさん(2組)
① H.K(3組) オーラ
はたして「オーラ」というものは目に見えるものなのか?見えているのは大人だけ?少なくとも自分には見えないし、そもそも私には存在しないと思う。おそらく「オーラ」は人をはかる「ものさし」であって、その人が放つ「雰囲気」のようなものなのかもしれない。ならば、思い切って金色の「オーラ」をまとって生きていこうか!
② N.M(3組) 後悔
今は亡き祖母との尽きない思い出。よく替え歌をうたってくれた祖母。ユーモアに富んだ祖母。残り物でおいしいチャーハンを作ってくれた祖母。旅先ではいつも一緒に朝風呂に入ってくれた祖母…。失ってみてぽっかり空いた穴。こうすればよかった、ああすればよかった。今はせめて天国の祖母に恥ずかしくない孫として在ろうと誓う。
③ A.K(2組) 限られたもの
時間は、わたしたちの可能性のように決して無限ではない。でも、もし時間に限りがなかったら…。おそらくすべてのことを後回しにしてしまうにちがいない。現実の人生において、わたしたちに与えられた時間には、やはり限りがある。ならばその感じ方ひとつで人生は変わるのだ。そう、限られた中でこそ達成感を得られるのだから。
④ T.A(2組) しあわせ
「しあわせ」は、元来いいこともわるいことも起こりうる偶然のめぐり合わせ。一人ぼっちのおばあさんが偶然出会った一人の少年に名を呼んでもらうことで改めて生きる実感を得るという物語。さらに、中島みゆきの『糸』の歌詞。それらには「しあわせ」の真意が潜む。人生において出会うさまざまな「縁」こそが「仕合わせ」と。
⑤ K.M(1組) 死んで生まれるもう一人の自分
はたして「魂」は存在するのか。1907年、マサチューセッツ工科大学において死の直後の人間の体重が21g減少するとの発表がなされた。この21gの正体は?ともあれ、世界にはいろいろな宗教があり、それだけ死に対する考え方もさまざま。死を恐れるがゆえに人が作りだしたもう一人の自分こそが、「魂」そのものなのではないか。
⑥ H.I(1組) 戦争のない世界へ
4年前、沖縄にて「ひめゆり学徒」だった語り部の声を聴く機会を得た。当時、傷病兵のお世話をするなかで一番多かったのが足の切断。また、捕虜になる前に自決した者も多くいたという事実。今なお、戦争は絶えない。犠牲になるのはいつも子どもたちだ。その歴史の語る辛苦をわたしたちはまず知ることから始めなければ…。