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「苦情」に思う.

投稿日2009/10/13

今朝、中学朝礼の中で残念なお知らせがありました。
 
『意見』と題した地元の方からの次のようなメールでした。
 
「近くに在住しております会社員です。いままで我慢してきましたが、御校の中学生の通学態度に我慢なりません。・・・久我山の商店街において、・・・下校時、道路の右側も左側も道路いっぱいに広がって、逆行してくる人によけもせず大騒ぎして歩いています。ついに、本日、私が帰宅途中、男子生徒が10人位の固まりになって向かってきて私の存在など気にすることなくぶつかってきました。注意すると謝りもせず笑いながら行ってしまいました。・・・」 (抜粋)
 
この文面から判断するに、
この方がここまで『意見』という形で
わざわざ学校に実態をお知らせくださったのには
どんな理由があるのでしょうか。
 
ふだんから通学路上での傍若無人な振る舞いにがまんしてきたこと。
「本日」の10人ほどのグループがぶつかってきたこと。 等々
 
その他、言わずにおいた理由も読み取ることができます。
 
しかし、そうしたどの点よりもこの一文だけは見逃せないものでした。
 
  「注意すると謝りもせず笑いながら行ってしまいました。」
 
人はさまざまな「感情」をもった生き物です。
その「感情」の通い合い、
気持ちのキャッチボールをもって
他の人との関係を紡いでいくものだと思います。
それは、よく知ったもの同士の関係であっても、
見ず知らずの人との関係であってもです。
 
残念至極なのは、すくなくとも「本日」の出来事において、
その大切な気持ちのキャッチボールという心の通い合いが
成り立たなかったことです。
 
 「すみませんでした」
 
この一言がもし、その場で10人のうちの誰かの口から発せられたのなら・・・。
 
これから中間試験前となり、部活動も停止期間に入ります。
ふだん以上にほぼ同時刻にみんなが一斉に下校する機会が増えてきます。
 
今は昔、「昭和」のころの小学校で叫ばれたものに
オアシス運動がありました。
 
 オ 「おはようございます」
 ア 「ありがとうございます」
 シ 「しつれいします」
 ス 「すみませんでした」

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