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久我山周辺地域探訪 & 桜桃忌.

投稿日2009/6/19

梅雨の中休みを利用して、今日は中学一年生の《久我山周辺 地域探訪》に出かけてきました。
地理と国語の時間を2時間つづきにしての実施です。
はたして、身近な学校周辺にどんな歴史と文学が隠れているのでしょうか。
その後、各自がレポートにまとめる必要もあって、思い思いにメモをとったり、カメラにおさめたりと熱心に見学していました。
 
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ところで、今朝早く、中学2年の女子奥日光(尾瀬)での《自然体験教室》へ出発!
22日までの4日間、みなで励まし合いつつがんばって歩き通してくださいね!
 
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さて、学校を出て最初に訪れたのが、こちら久我山の烏山倉庫
レスリング場や卓球場、テニスコートもあります。その周りは、日本女子体育大学のグランドもあり、元気な掛け声が響いていました。
なお、災害時の貴重な備蓄品もこちらに保存されています。
 
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次は、関東大震災時、深川をはじめとする下町界隈から、いわば「寺院の集団疎開」ともいうべき形で宗派を越えて形成された「寺町」を訪ねます。
その26ほどある寺院の中で最も規模の大きな「妙寿寺」へ。
ここには、当時震災の影響で近くの工場のガス爆発の影響から穴が空いてしまった「割れ鐘」を見ることができます。
また、このほど、新たに「宮澤賢治」の直筆による碑も建てられていました。
「雨にも負けず、風にもまけず・・・」
みんなで声をそろえて大合唱です。(笑)
 
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続いて、すぐ向かいの「専光寺」へ。
こちらは、あの美人画の名高い浮世絵師の「喜多川歌麿」の墓所でもあります。
「当時の美人って、どんななんだ???」
 
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唯一、池をもつ「高源院」へ。
鴨池のみなもには、スイレンやコウホネがちょうど咲いていました。
そして、弁財天を祀った「浮御堂」へ足を運んでみると・・・
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「センセーイ! ヘ、ヘビが、いまーす!!!」
大きなアオダイショウが中州の枝先で休憩中でした。
「おれ、ここ、気に入ったよ」 「おお、いいね、ここ・・・」
さすが「世田谷百景」に選ばれるだけのことはありますね。
ちょうど、ご住職さんはじめ、庭師の方々が植木の手入れをなさっていらっしゃいました。
 
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さて、一路、いったん学校を通り過ぎて北側エリアへ。
通学路の兵庫橋近くの玉川上水「水難者慰霊碑」のもとへ。
この碑の裏側には、愛娘をも失ったあの言語学者、
金田一京助の歌も刻まれています。
 
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そして、上水沿いに少し上流へ進み、最後のポイント「どんどん橋」(牟礼橋)へ。
その名が示すように、当時は「人喰い川」とおそれられるほどの水流で、水かさが増すと、橋げたにぶつかっては「どんどん」と音をならしたと言われています。
また、この橋はちょうど「江戸道」が通っていたところ。このあたりからですと江戸まで約三里(12km)ぐらい。朝の市場へ買い出しに、歩いて3時間、駆けて1時間とちょっとというところでしょうか。(笑)
 
ところで、今日「6月19日」は、ほかならぬ「桜桃忌」
生誕100年とやらで、例年以上に話題に事欠かない
太宰治の命日です。
昭和23年6月13日に玉川上水に入水、発見された19日はちょうど39歳の誕生日にあたりました。
ということで、学校からの帰り道、せっかくですので、
三鷹方面に足を延ばし、太宰ゆかりの地を「独り地域探訪」してきました。(笑)
 
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まずは、三鷹駅から井の頭の「万助橋」へ向かってすぐの、「入水地」とされるところへ。
当時の上水の様子を語る『乞食学生』の一節を引いた碑とともに、「恍惚と不安な表情」を浮かべる太宰の写真が飾られていました。
また、近くには、彼の故郷、津軽は五所川原市の金木町からとれた「玉鹿石」が置かれ、その傍らには、おそらくファンが手向けたであろう紫陽花などの花が生けられていました。
 
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そして、夕食どきに賑わう三鷹駅前の商店街のただ中にポツンと忘れられたように建つ、「文学碑」へ。
本の形をしたそれは、『斜陽』の一節が採られていました。
 
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つづいて、森林太郎(鷗外)とともに眠る「禅林寺」へ。
あいにく時間外のため、門の外で手を合わせます。
 
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最後に、太宰が三鷹に暮らした旧宅跡付近を訪ねます。
今はその玄関先に植えられていた「百日紅」の木が、向かいの「三鷹・井心亭」に移植されて残されていました。
 
なにはともあれ、久我山も三鷹も・・・灯台もと暗し。
人あるところ歴史あり。
歴史のなかに文学あり。
まだまだ、ゆっくり時間をかけつつその一端にふれながらそぞろ歩きをしてみたいものです。

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