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指 針 @ 2/27 女子部前期課程(中学1・2年) 「今、私の思うこと」全体発表会.

投稿日2015/2/28

 
 
学校のご近所の軒先で、今年も白木蓮の冬芽が刻々とふくらみを増しています。
日の当たる南に面した部分がより膨らむことから、芽の先端がみな一様に北を指すといわれています。
したがって、山歩きなどでは「昼間の北極星」のような存在として、方角を指し示してくれる大切な樹木でもあります。
 
さて、中学生が年度末のこの時期に、全員で取り組んでいる「今、私の思うこと」発表会
女子部前期課程では、クラス代表によるその全体発表会を中学1・2年合同で実施しています。
 
  「妹」は一つ違いの「姉」にたのもしさとあこがれを抱き
  「姉」は一年前の自分を彷彿させる「妹」をいたわりみちびく
 
でも、それは結局のところ、
めぐりめぐって「自分自身」を見つめ直すことにつながっています。
 
   われ思う ゆえに我あり    ルネ・デカルト
 
この機会が、また新たな「自分という未知な存在」を開拓するための「指針」となってくれることを願って…。
 
 
以下、発表順にその概要をご紹介いたします。
  
 
 
◆ 未来のために学ぶ(1年)
…ノーベル平和賞を受賞したマララさんのスピーチに感銘を受けた。それにくらべ今の私はまだまだ無力。これから、さらに知識を蓄え資格も得て仕事をもつことで世界とかかわるようになっていく。それもこれも学ぶことのできる環境があるからこそ。昨年、岡山で行われたESDに34か国の若者が集った。彼らはみな世界の諸問題を自分自身のこととして意識し学んだからこそその話し合いは実を結んだ。人は先人の知恵や文化を学び続けることで、具体的に行動をおこすことができる。くわえて人とのふれあいもまた大切にしなければならない。
 
 
 
◆ 言葉について今私が思うこと(1年)
…言葉のもつ役割はさまざま。小学校のころ、心ない言葉を言われることがあって当初気にしないようにしていたが、やはり心に負った傷は癒えなかった。一方、大切な友人が、それとなくほめてくれた言葉によって救われたことも。そのときの言葉はいつも表裏のない態度で接するその友人の本心が吹き込まれたものだった。決して人を傷つけまいと思っても、知らず自分の発した言葉が相手の心に傷を負わせることもある。わたしたちは、そうした言葉のあるべき姿について考えつつ、責任をもって使用するよう心がけねばならない。 
 
 
 
◆ 失うことで見えるもの(1年)
…あなたの隣にいる友だちは本当の友達ですか? そもそも本当の友達とは…。それはまずその人の味方となれること、そして道を逸れそうなときに救ってあげられること、さらに家族のような関係にあること。これらに共通するのは強い信頼関係にほかならない。友だちごっこの関係ではその信頼は築かれない。かつて私はすべての友を失ったことがある。周りはすべて敵という苦しい状況にあって、たった一人だけ私の話をきいてくれた人がいた。失ってはじめて知る友のありがたみ。これからは失う前に友を大切にできる人となりたい。
 
 
 
◆ 良い嘘と悪い嘘(2年)
…嘘は嘘でも、他人をだましあざむく嘘もあれば、思いやりから出た嘘もある。昨年世の中を騒がせた数々の出来事も、そのほとんどが自分自身をよく見せるためについた嘘が原因である。しかし、一見相手を思うがあまり口にしたよい嘘であっても悪い嘘へと転回してしまうことも。厳しい術後が予想される患者に対する「がんばって」のひとことも、時として元気づけることにつながるかもしれないが、かえって生きる気力を喪失させてしまうかもしれない危険性をもはらんでいる。ゆえに嘘は極力つかないのがなによりだ。
 
 
 
◆ 今年、最も恐ろしかった話題(2年)
…今なお解決をみないISの存在とその事件は最も恐ろしい出来事だ。彼らの主張は、他の宗教を徹底的に排し、その結果として見せしめの処刑を断行したりジャーナリズムを封じ込めたりもする。そうした中で、日本人もその犠牲となってしまった。この恐ろしさは、異なる考え方をする者は悪であるという教えがさらに次代を担う子供や若者にも洗脳されていくことでもある。その影響からすすんで志願する者も現れ始めている。かといって、この問題は「空爆」では決して解決されない。なんとしても平和的な解決を望みたい。 
 
 
 
◆ ワガママ期(2年)
…来年は「中学3年生」。私たちはこの大人でもない子供でもない中途半端な時期にまもなく入っていく。アミューズメントパークへ行くとしよう。子供なら入場料は安くなる。他方、大人なら夜遅くまで遊ぶことができる。こうしたことはどうにもならないことであって、それにもかかわらず、「中学3年」という時期は、ある時は子ども扱いを願う一方で、また別の局面では大人扱いされたいとも考えたりする、「ワガママ期」なのだろう。とはいえ、責任そのものをすべてにわたり負うことのない時期であると思えば少しは気が楽になるのだが…。

 

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