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そもそも「修学旅行」ってなんだろう?.

投稿日2015/2/24

 
本校でも高校2年生の年度末に実施される恒例行事となっている「修学旅行」。
 
関西方面や山陰山陽など目的地に多少の変遷はありましたが、ここ最近はもっぱら「九州」を巡る形がとられてきました。
 
ところで、そもそも「修学旅行」とはいったいなんなのでしょうか。
もともと、「農耕民族」として「一所懸命」に生きることをしてきたこの国の人々にとっては、そうしたわがふるさとを出て旅することは基本的には不要のことであるし、仮にその必要に迫られたとしても、それは決死の覚悟をもって二度と戻ることがないかもしれない「家」との別れを意味するものが大半でありました。
時代によっては、「お伊勢参り」のような信仰上のものであったり、「参勤交代」のような仕事上のものであったり、いずれにせよ、今のように「旅」が「レジャー」という括りにおさまることなどありえない一大事でありました。
 
その後、戦争という時代を挟んで、あらためて学校教育の中に、日常を離れて文化や歴史に満ちたその土地の非日常を体験することに意義が見出されるようになってきました。
しかしながら、幸か不幸かこの現代社会にあっては、家族単位や友人同士といった個人レベルにあっても、そうした「旅行」は実現可能な時代を迎えました。しかも、そのエリアは国内にとどまらず海を渡ることもできるようになりました。
そういう状況にあってもなおかつ、決してお安くはないその費用を予め年次ごとに積み立ててまで大人数で実施することの意義はどこにあるのか、参加者一人一人があらためて考えてみることは出かける前の準備として最も大切なことのように思われます。
 
そんなことを感じていた矢先、今年の「しおり」が男女それぞれ完成をみて手元に届けられました。
奇しくも、男子部のその一ページ目には、学年主任のI先生と旅行委員長のO君がその「意義」の一端にふれる一文を寄せていましたので抜粋してご紹介いたします。
 
 
◆修学旅行の趣旨は、あくまで研修にある。単に集団規律を守って品行方正に行って帰ってきましたなどという表面的なことではないし、ましてや思い出づくりだのといったおめでたい発想でとらえてはなるまい。まがりなりにも高校生が彼の地に赴き見聞を広げる、すなわち一つのかけがえのない経験を踏むということだ。研修旅行を通じて何を見るのか、聞くのか、そして心を通わせるのか、よくよく考えて欲しい。そもそもなぜ九州なのか。そりゃそちらの御膳立てでしょう…、否、さにあらず。あくまで学校は生徒に投げかけているのだ。考えるのは主体である生徒だ。九州の意味、九州を縦断するルートを通る意味、それらに答えを与えるのは他でもない諸君である。事前学習の意味もそこにある。(中略)修学旅行はいわばフィールドワークだ。風土に触れる。つまり自然と文化に触れる。歴史を見つめよう。今を見つめよう。そのうえに、九州のこれからが、ひいては日本の、世界のこれからが、そして諸君のこれからが見えるように切に願う。
                          (男子部高校第2学年主任 I先生 あいさつより)
 
 
◆いよいよ皆さんが楽しみにしている、高校生活最大のイベント、修学旅行が始まります。この日のために旅行委員をはじめ我々生徒一同は、いろいろと準備をしてきました。さて、修学旅行では名所や土産物、食べ物などばかりに注目しがちですが、やはり一番大切なのは「学を修める」ことです。なかでも班に分かれての研修となる長崎では、特に多くの学ぶべき歴史があります。(中略)最後に、旅行委員や準備を助けてくださった方々、親への感謝の気持ちを忘れずに、安全に気をつけて、楽しくこの修学旅行を成功させましょう。
                          (修学旅行委員長 O君 あいさつより) 
 
 
くわえて、現在女子部の廊下には、各自がテーマごとに事前学習したレポートが掲示されています。
他学年に先立ち、来週の学年末試験を経て、「修学旅行」自体は3月9日(月)から13日(金)に実施される予定となっています。
 

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