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「明日の自分」にむかって射よ!@男子部中学3年《私が今、思うこと》.

投稿日2015/1/29

 
ただいま早朝のグランドでは、弓道部の諸君が、来月に迫った「遠的(えんてき)」の大会に備えて特別練習を実施しています。
「射位」から丸い俵の「的」までの距離は、はるかかなたの60m。
直線ではなく大きく山なりの軌跡を描いて飛んでゆく弓矢を間近にするにつけ、的中は到底神業としか思われません。しかし、そこはさすが伝統ある弓道部の部員たち、時折、見事俵に命中した手ごたえを感じさせる小気味いい音が聞こえてきました。
 
  ※ ちなみにこの練習の間に限り、中学生たちのグランドでのボール遊びは
    さすがに遠慮してもらっていますので、どうかご心配なく…(笑)
 
 
ところで、今日は、男子部中学3年生が一堂に会して《私が今、思うこと》のクラス代表による「全体発表会」にのぞみました。
この一年を振り返りつつ、これからの日々に思いをはせるいい機会となったことでしょう。
それは、ちょうど弓矢をいったん後ろに大きく引いてのち、その反作用として力強く前へ放つ弓道の一連の動作に似ています。
 
はたして、5人の発表者からはそれぞれの「明日の自分」に向けてどんな矢が放たれたのでしょうか。
 
  (以下、発表順)
 
 
◆M・G「自分らしさ」

…人はたしかに一人では生きていくことはできない。しかし、他人に左右され過ぎるとまた不幸になることも。それを避けるためには、「自分は自分」という何かをもつことが大切だ。そのためにも自分なりの「価値観」、自分の「信念・信条」、自分だけの「夢」、そして自分自身の「生き方」を心がけるようにしたい。ドイツの哲学者、ショーペンハウアーはこう指摘する。『私達は他人と同じようになろうとして自分の4分の3を失ってしまう』と。オンリーワンの人生、もっと自分らしく生きようではないか!
 
 
◆R・M「銃で守れるもの」

…世界に目を向けると、銃によって人命が絶たれる不幸な出来事があとをたたない。一方、日本では今のところエアガンやゲーム上のレベルであって、本当の銃の脅威にさらされてはいない。たしかに、銃は自分の身は自分で守るという防衛上の立場からは有効な手立てとなるかもしれない。現に銃保有率世界15位のアイスランドが昨年世界一平和な国家として評価された。しかし、最も大事なのは「銃を人より強くしてはならない」ということであり、日本は銃を保有せずとも愛するものを守れることを証明する国でありたい。
 
 
◆K・S「明日の自分」

…現在、平成27年1月6日23時57分。明日7日は3年間つづけてきたサッカー部の最後の公式戦がひかえている。思えば、入部以来、悔し涙を流すことのなんと多かったことか。今のチームになってからも、東京チャンピオンを目標に掲げて頑張ってきた。しかし、いつも同じ相手に退けられては悔しい思いをしてきたのだった。明日は、奇しくもその宿敵との三度目の対戦となった。明日の自分はどんな顔をして帰ってくるのだろう。今は思う。「絶対勝ってやる!これまで支えてくれた人たちのために、そして自分自身のために」。
 
 
◆M・T「ドラえもんと常識の変化

…冬休みにドラえもんを再読した。そこであの「どこでもドア」がワープではなく、時空間をこえてもう一人の「わたし」が生成されているという解釈に興味を持つにいたった。87年、アメリカの哲学者ドナルド·デイヴィッドソンが考案した思考実験による「スワンプマン(泥の男)」もまた、「わたし」と同一の存在を解き明かしている。ならば、いったいどちらが本当の「わたし」なのか。本物と偽物を分かつものはなんなのか。この世のすべてが消滅を繰り返し新たな生成を遂げていくのだとするなら、常識もまたしかり。己の感じたことに基づき新たな常識を構築していくことが求められてはいまいか。
 
 
◆S・M「今を精一杯生き精一杯楽しむ」

…不幸なことはなにより、人に恐怖をもたらす死ではないかと思いつづけてきた。そして、若年性認知症の存在を知った。40代の働き盛りの男性が、しだいに重篤化してとうとう退職に追い込まれ、記憶が落ちていくとともに死を迎えていくという現実を目の当たりにしてこの上なく恐ろしさを覚えた。認知症は、環境によってその症状は軽快することもあるという。しかし、どんなに尊厳を失うような事態に追い込まれても人としての価値は失われるものではない。だからこそ、自分の運命をありのままに受けとめつつ今を精一杯生き、精一杯楽しむことがなにより大切なのではないか。
 
 
 

 
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        クラスメイトたち~

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