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裸の先生.

投稿日2014/10/28

 
創立70周年を記念する事業のうち、出版物としてこのほど、校史をビジュアルな紙面構成で綴った『記念誌』と、全教職員の執筆からなる『久我山春秋』の2冊が発刊されました。
今朝、校長先生から全校生徒に向けてその意義についてお話がありました。
 
遡ること30年前、創刊号の発刊に寄せて、名誉校長であった故佐々木周二先生がその趣意について次のように述べています。
 
「学校にはすでに月刊の校報があって、校史の一頁一頁が月毎に綴られている。
しかし校報の建前は、決められた枠の中でのもろもろの物事を、客観的に外から眺め、記録し報道することにある。したがって、久我山教育の流れを、形としてとらえ、記録されはするが、形になるまでの流れの中で、我われ教師陣の一人ひとりの苦心、悩み、考え方、心の動き等、生きた息吹は校報の形では、あまり盛りこむことはできない。
そこで、もう一つの形への思いが私の胸に生まれ始めてきた。その形が、このたびの学校の機関誌づくりである。
教師の裸の姿を見せる。大切なことだが難しいことである。だが所詮、教育は心と心のふれ合い、結びつきである。教育荒廃といわれる世相の下に、この子供たちと我われの間に心のぬくもりの交流なくして、何で教育を語ることができようか。無論、生徒は年齢的にも、理解力の点でも幅は大きく、危惧の念がないわけでもないが、「先生の裸」でなく「裸の先生」を教え子の前に良識と愛情をもって、さわやかに見せる気魄は、我われにとって大切なものの一つだと思っている。・・・」
 
 
はたして、このたびの『20号』では、どんな「先生の裸」が、いや、「裸の先生」が垣間見られますことやら……。(笑)

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