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「善人ばかりの家庭では 争いが絶えない」 ~創立七十周年関係物故者慰霊祭 に寄せて~.

投稿日2014/10/17

五年に一度、節目の年に行われる《関係物故者慰霊祭》
創立70周年の今年は、高校三年生が一堂に会し、
その他の学年は教室のモニターにてその様子を見守りました。
 
神式に則り粛々と進む中、
これまで学園に所縁のあった方々すべての御霊を
祭壇中央の御柱にお迎えし、
高校音楽部によって「追悼歌」奉唱されました。
 
   誄 歌
           釋 迢空 作歌
 しづかなる境に行きてしづまらむ
  暫しをここに魂より来たる
 
 
   追 慕 歌 
           鳥野 幸次 作歌
 いますごと目にも見え来てなつかしも
  今日のまつりにその世しのべば
 
 
 
 
 
この慰霊祭に先立ち、
朝方、学校にほど近い北烏山の
西蓮寺へお参りに…。
 
真宗大谷派のこのお寺は、
もとは武家出身の宗誓上人が桜田門に創設、
その後、虎ノ門、三田と移り、
昭和14年に現在の北烏山へ移転されました。
 
築地塀をめぐらせた珍しい山門をくぐり、本堂を回り込んで
墓地へ進めば、その一角に「学園の墓」が鎮まっています。
ここには、創立者である岩崎清一先生や
名誉校長の佐々木周二先生をはじめ、
二十三名の教職員の方々が祀られています。
 
その碑文には・・・
 
 学園をつくり
 学園をそだて
 学園をまもり
 学園を愛しつづけた人々
  ここに眠る
 
とありました。
 
 
 
ところで、その山門横の掲示板には、
月毎にさまざまな「ことばのはな」が咲いて
人々のこころに静かに語りかけています。
 
今月の「はな」は、「善人ばかりの家庭では 争いが絶えない」との法話でした。
「学校」というところは、とかく「善人」を育て上げようとします。
そして、「先生」という存在は、これまた「正しいこと」(正義・正論)ばかりを口にするもの。
 
しかし…
 
あらためて、「こころの片隅」に置いておくべき大切な教えがそこにありました。
ぜひ、それぞれの立場で、ご一読くださいませ。
 
  ******************************
 
   ことば こころのはな ~西蓮寺掲示板 二〇一四年十月のことば 副住職 釈勝願~ より
 
「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」という法語についてのお話です。Aさん一家とBさん一家が、隣り合って住んでいました。Aさん一家は、いつも笑いが絶えず、みんな仲良し。Bさん一家は、喧嘩ばかりで、雰囲気は良くありません。
 B家のお父さんが、A家のお父さんに尋ねます。
「お宅は、みなさん仲良しですね。どうしてですか?」
 Aさんは答えます。
「うちは、みんな悪人だから。もしかしたらお宅は、みなさん善人なのではないですか?」と。
 
ある日、廊下に水の入ったバケツが置きっ放しになっていました。 A家では、バケツを蹴っ飛ばしたお父さんが、「気がつかなかった私が悪かった。ごめん」と謝り、お母さんが「そこに置きっ放しにしたの私なの。ごめんなさい」と謝り、子どもが「お母さんが掃除中なのに、僕がお母さんを呼んだの。ごめんなさい」と謝りました。みんなが、自分が悪いのだと謝りました。水浸しになった廊下を、みんなで掃除をして、仲良くお茶の時間になりました。
 B家では、バケツを蹴っ飛ばしたお母さんが、「こんなところにバケツを置いてたらジャマじゃない!」と怒り、お父さんが「俺が掃除をしてやっていたんじゃないか!」と怒鳴り、子どもが「ふたりとも静かにしてよ!今、勉強しているんだから!」と怒りました。みんな、自分に非があるとは思っていません。その日の夕食は気まずい雰囲気になりました。
 
 私に責任があった、私が悪かったと、自分の悪を自覚している人(悪人)が集まれば、争いは起きません。
 私に責任はない、私は悪くないと、自分を優位に置いて、他者を見下ろすような人(善人)が集まれば、争いが起こるのは必然です。
 
 さて、家庭ほどの世界ならば、自分の悪の自覚によって、みんなが仲良くなることはあり得ると思います。しかし、世界が大きくなればなるほど、それは難しくなります。誰かを大切に想うとき、同時に誰かを傷つけてしまうという現実が起こるのですから。日本の平和のために、経済発展のために、安く働かされている人々がいます。危険な道具が売りつけられています。罪もないのに差別を受けている人々がいます。
「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」のお話を紹介したのは、「善人ぶらないで、わたしの中の悪に目覚めましょう!」などと言おうとしたのではありません。悪の自覚は大切なことですが、「自分は、わたしの中の悪を自覚した!」と思い込んだ時点で、実は善人のままなのです。そういう思い込みの中で、家族が、みんなが仲良くなることはありません。
 気づかないうちに誰かを、他のいのちを傷つけている現実がある。そのことを、こころの片隅に置いてほしいのです。正義を果たしたとき、泣いている誰かがいます。 

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