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「馴染む」をリサイクル.

投稿日2014/7/4

明日5日は、〈制服リサイクル品〉提供日となっています。
希望される方は、以前生徒を介して配布された「父母の会」ある通り、「保護者証」をご持参のうえご来場ください。
 
  期日 7月5日(土)
  時間 11:00~12:30 (授業中につき、10:30以降にお越しください)
  場所 本館1階 会議室  
  ※ 保護者限定 一家族2品まで

 
ところで、「制服」と聞くと、思い出されるのは、かれこれ10年前、ある学年通信に寄せた拙文…。
それは、卒業式を間近に控えた高校3年生の様子から、「馴染む」と題して書いたものでした。
 
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    馴染む
 
(略)・・・・・・ 何年もの間、着慣れた制服は、さすがに色褪せすすけて所々ほころびも見え隠れして新入生のそれとは明らかに違う。
 
 辞書によれば、「慣れる」とは、「常のこととなる。珍しくなくなる」とある。一方「馴染む」とは、「調和する」こと。そうした微妙なニュアンスの違いにしたがえば、「騒音に慣れる」とはいえても、「騒音に馴染む」とは馴染まぬ表現だ。また、「書物に馴染んで育つ」や「石けんが水に馴染む」を「慣れる」に言い換えることはふさわしくないといえる。
 さらに、ここにいう「調和」とは、単に釣り合いを意味するのではなく、「我がものとする」すなわち「自分の心身の一部として扱う」ことなのではないか。
 その日、6年間通い詰めた学校の修了式を迎えるにあたり、ひさしぶりに袖を通した制服が、単に「着慣れた」ものでしかなかったのなら、かなしい。
 社会学者の上野千鶴子は、次のように言う。
  
「卒業とは、制服のない自由に耐えることだ」と。
 
 また、『制服概論』を著した酒井順子は、その中で
「(セーラー服には)厳しい期間限定感がある」とし、
 
「制服とは、型なのです。歌舞伎でも茶道でもまず型がありきで、何も考えずにまず型を覚えていくうちに何かが見えてくる、という世界を私たちはよしとする。確固とした型が存在してはじめて滲み出る美や、ふとしたはずみで型から逸脱した時に生まれる窯変を、好むのです。となれば、型を大切にする日本人が制服を愛するのも、当然と言えば当然なのでしょう。」と分析する。
 桜花の咲くころ、みなさんはそれぞれに進級することになる。そして、真新しい制服に身を包みどこかしっくりとこない着こなしの新入生にとって、みなさんの存在は羨望の的であるはず。ただし、その姿は、単に日数を重ねただけの「着慣れた」風であってはならない。ぜひとも、生活すべてにおいて「馴染んだ」姿であってほしい。
  
 そのためには、「着せられている」から「着ている」という意識の進級を果たさねばなるまい。
 
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このリサイクルを通して幸運にも「制服」等を手に入れることができた者は、ものを大切にする気持ちとひきかえに、その「制服」に馴染んだところの、かつての持ち主の「心」をしっかりと受けとめねばならないように思うのです。

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