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「相互依存」って?@関健作さん(写真家)講演会~ブータンから学ぶ~.

投稿日2014/5/9

 
2007年、それまで学校に「体育」という授業がなかった幸福の国「ブータン」にて、体当たりで「先生」をなさった写真家関健作さん。
昨年に続き、中学三年生を対象に講演していただきました。
 
大学まで陸上競技一色の人生を歩まれてきた関さん。
しかし、自分を超える存在が次々にあらわれ、自信を喪失しかけていたとき、青年海外協力隊としてブータンへ渡るチャンスを得ます。
そこで目にしたのは、あきらかに日本とは真逆な世界でした。
それゆえ、長年にわたり身体に染み込んだ日本の習慣や価値観が、現地での生活の障壁となってしまいます。
はたして、どのようにその壁を克服して異文化にとけこんでいったのでしょうか。
 
正装である「ゴ」を身に纏い、そうしたブータンでの貴重な体験に基づいて、今回は「相互依存」をテーマにお話くださいました。
 
 ※以下、印象に残るお言葉より
 
 
◆「知る」ということ

日本は現在39%の食料自給率です。つまり6割は外国からの輸入に依存しているということになります。それにもかかわらず、年間実に2189トンもの食品を廃棄しているという現実があるのです。おそらくそうした事実をわたくしたちはあまり知らないので、平気で捨ててしまっているのかもしれません。
他にも、「ホームレス」の実態や「フェアトレード」の存在など、世の中には多くの人が知らないでいることがたくさんあります。
まずは、自分が社会や世界とどのように関わっているのかを「知る」ことが大切だと思います。
 
 
◆GNPよりGNH

ブータンでは、経済的な豊かさよりもどれだけ幸福であるかといった心の豊かさが重んじられています。
そのためにも、自分自身の欲望をできるだけ抑えようとする生活態度が浸透しています。
 
 
◆人の顔が浮かぶ米

主食である米も、機械でなく人の手で一から作られています。それゆえ、その米をいただくときには、その作った人の顔が浮かんでくるのです。今、日本で何かを食するときに生産者の苦労を実感するようなことがあるでしょうか。
 
◆鶴のためにも
一見、雑な農作業のように見えて、それがかえって田んぼを鶴の貴重な餌場にしているという現実があります。また、灯りのある生活も理想ですが、そのために電線を張り巡らすことは、鶴の飛来の妨げになるという理由から先送りされているのです。
 
◆「もらう」のではなく「あげる」
誕生日になると、きまってたとえば子どもたちなら友達や先生、知り合いのひとにアメを配ります。「今日はあなたのお陰で誕生日を迎えることができました。ありがとう!」と。プレゼントをもらう習慣があたりまえの日本とは正反対です。
 
 
◆なにもないところから

「体育」という授業がなかったのですから、当然そのための「道具」もありませんでした。ですから、ゴミを丸めてボールを作ることから始めました。
思えば、なにもないからこそ考えることが出来たような気がします。環境も道具もあたりまえにそろっている恵まれた世界に浸かってしまうと、それが当然過ぎて人は考えたり工夫することを忘れてしまうのではないでしょうか。
 
◆先ず口に出してみること
みんなが遊べる「公園」を作ったこともありました。当初ははたして実現するか不安でしたが、その構想を折あるごとに思い切って周囲の人に語っていると、そのうち自然と協力者が次々に現れてきました。
やりたいことがあったなら、内に秘めて終わずに、まずは勇気をもって口にしてみることでその可能性は広がりを見せてきます。
 
◆「違い」を認める
日本人にとって日々努力することや自分はまだまだと叱咤激励することは美徳とされています。しかし、必ずしもその価値観は世界どこでも通用するものではありません。ブータンではどちらかといえばのんびりと基本的には「これでいいのだ」といった生活態度が好まれています。
訪ねたばかりの頃は、その違いにいらだちを覚え、ついつい上からモノを言うようなところがあり、現地の人との関係もうまく築けませんでした。しかし、これではいけないと食べ物や言語など生活のすべてをブータンの色に変えていった結果、しだいにとけ込み、友好的な関係を作ることができるようになりました。
 
◆「知る」 「体験する」 「楽しむ」
まずは、知らないことを「知る」ことからはじめて、その上で行動をおこし、実際に見て「体験」してみることです。
そしてなにより大切なのは相手との「違い」を認め、その「違い」そのものを楽しむことだと思います。
 
 
 
……講演後の「質疑応答」より
 
Q 先生にとっての「幸せ」ってなんですか?
 
A そうですね。するどい質問ですね。(苦笑)

  あえて言うなら、
  今、自分の「居場所」があるということでしょうか。
  話の中でもふれたように、
  学生時代に自信を失いかけていたころには、
  世の中で自分は必要とされていないんじゃないかと本当に悩みました。
  しかし、今はなんとかこうして自分の生きていく「居場所」を見つけることができました。
  これほど幸せなことはないと思います。
 

 
   ものの見方を変えてみると
     見えるものも違って見えてくる
 
   このことを教えてくれた
     運命的な一枚の写真

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