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命を懸ける ~第2学期終業~.

投稿日2013/12/20

本日で、無事第2学期も終業、実りから蓄えの季節へと時は流れていきます。
この節目に、全校放送を通じて、「(高校)読書感想文コンクール」をはじめとする、学期中に行われた行事やコンクールなどの様々な褒賞が披露されました。
あわせて、これから迎える冬期休暇から1月中にかけて行われる「全国」での大会へ見事に駒を進めたクラブの壮行会も行われました。
 
 ◇高校読書感想文コンクール 入賞者発表
   優秀作 (該当なし)
   佳 作 6編 ※( )内は書名
        1年…A.Mさん(海と毒薬)
        2年…N.O君(ツリーハウス)・A.Nさん(キャパの十字架)
        3年…A.U君(海と毒薬)・K.K君(海と毒薬)・A.Yさん(ツリーハウス)
 
 ◇全国大会出場クラブ壮行会
   高校男子陸上競技部(全国都道府県駅伝)
   高校男子バスケットボール部(通称:ウインターカップ)
   高校サッカー部(全国高校サッカー選手権大会)
   中学ラグビー部(東日本中学校ラグビーフットボール大会)
 
その後は、男女それぞれ部別に分かれてこの2学期をあらためてふりかえりました。
以下、女子部長W先生の訓話より…
 
「…この2学期にはさまざまな行事が行われました。新たに中学にお目見えした『クラス合唱会』や、女子部伝統の『創作ダンス発表会』など、いずれもみんなで力を合わせ、コミュニケーションをとりながら創り上げてきました。今後とも、一日一日を大切にしつつ小さなことにも手を抜かず一生懸命に取り組む姿勢を大事にしていきたいものです。なぜなら、こうした生き方の基本は、大人であっても子どもであってもなんら変わりないものだからです。」
 

 
「…ところで、今秋、緻密な取材をもとに社会問題を探った作家、山崎豊子が亡くなりました。八十八歳でした。その代表作に『大地の子』があります。先の大戦によって中国の満州に残ることを余儀なくされた孤児たちの存在を扱った作品です。戦後68年たちましたが、このような残留孤児の存在に注目が集まったのは、実に戦後30年以上経ってからのことでした。そうした中、山崎豊子は、84年から当時の中国の首脳陣に直接3回も面会を果たし、孤児らの取材許可を得て後、当時外国人には一切開放されていなかった農村地区を回りながらとうとう300人以上の『戦争孤児』 (山崎豊子は『自らの意思からすすんで残ったかのような印象を与える〈残留孤児〉という表現を嫌いました)の取材を実現したのでした。…」
 
「…11月の中旬にNHKで放送された追悼番組『小説に命を刻んだ~山崎豊子 最後の日々~』の中で、ちょうどこの『大地の子』の執筆にふれて次のような肉声テープが紹介されました。…」
 
  「中国大陸のそこここで、自分が日本人であることも分からず、小学校にも行かせてもらえず
  牛馬のごとく酷使されているのが本当の戦争孤児です。
  …私はこれまでに色々な取材をしましたが、泣きながら取材をしたのは初めてです。
  敗戦で置き去りにされた子どもたちが、その幼い背に大人たちの罪業を一身に背負わされて
  …いじめられ耐えてきた事実、日本の現在の繁栄は戦争孤児の上に成り立っているものであることを知ってほしい。
  『大地の子』だけは私は命を懸けて書いてまいりました。」 (山崎豊子)
 
「…久我山では、毎朝『読書の時間』を設けています。がしかし、そこで読まれる本はなんでもいいというものではありません。今読むべき本をぜひ手にとってほしいと思います。…」 (女子部長 W先生)
 
 
これから迎える年末年始は、それまでの生活がとかく自分自身のことで精一杯だったのに対して「親」「きょうだい」、そして「祖父母」や「いとこ」、さらには広く世の中全般に向けて目を向けつつ関心を寄せる時間でもあります。
「社会」を見つめるということは、いまここに「私」が在ることに思いを致すことにほかなりません。
 
その時山崎豊子が現地で流したとされる涙を、その遺作を通じて今この時に呑むか呑まぬかは「私」の今後に大きな影響をもつものと思われます。

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