今、男子部の中学一年生の廊下には、6月に行ったグループワーク、「いじめについて考えてみよう!」でまとめられたレポートが掲示されています。
「どこまでなら『ちょっかい』で、どこからが『いじめ』なのか?」
それは、「どこまでなら許されて、どこからは許されないか」に通じています。
班ごとに出された意見のなかから、いくつか拾ってみました。
肝心なことは、自分一人でも、たとえ集団であっても、「相手」が今どんな気持ちでいるのかを慮ることができるかどうかです。
また、「ふざけ」や「じゃれあい」といったやりとりの延長にこそ、「けんか」や「いじめ」の火種が潜んでいることも忘れてはなりますまい。
では、どうしたら深刻化する前に「いじめ」を防ぐことができるのでしょうか。
グループワークは、その解決の糸口についても探っています。
自覚して自分の言動に注意するといった、理想的な個人領域での努力も指摘されていますが、圧倒的に目立つのは、「相談」の二文字でした。
やはり、いつの時代も意思の疎通には「コミュニケーション」を図ることがなにより大切であるようです。
ところで、ここ連日の「猛暑」、いや「酷暑」と言った方が適切かもしれませんが・・・。
これって、まさに「いじめ」ではないでしょうか?
「人を精神的、身体的に追いつめ」
なにより「嫌な思いをさせ」ているのですから…(笑)
しかし、こればかりは、どなたに「相談」したらよいものか…