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第一学期 期末試験 が始まりました!.

投稿日2008/7/8

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朝方、23区東部に大雨を降らせた雨雲が、ここ久我山の上空にものびてきた頃、屋根を穿つ雨のそれにも劣らぬペン音が教室中に響いています。
いよいよ今日から12日までの5日間にわたる第一学期期末試験が始まりました。
 
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おっと、曇りガラスでよくは見えませんが・・・、
さすが、高校3年生でしょうか、
試験終了間際まで、積極的に「前のめり」の姿勢を崩さず試験問題と格闘しているようです。(笑)
 
 
ところで、その放課後。
先生はじめ職員が一堂に会して恒例の〈教職員研修会〉が開かれました。
今回は、学内の二人の先生による外部研究会の報告という形で行われました。
 
一つは、「教員としての『てにをは』」(学校長講評より)についてと、
もう一つが、生活指導の観点からの「服育」というものについてでした。
 
その「服育」ですが・・・。
文字通り、「服装」をはじめとする「身だしなみ」をきちんとすることからはじめましょう、という方法論です。
 
数年前に話題となった本にも、『人は見た目が9割』竹内一郎著(新潮新書)がありました。
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しかしながらよくよく考えてみるに、昔からこの国ではその「見た目」とやらを殊の外大切にしてきました。
ただし、ここにいう「見た目」「外見」といった皮相的なものとは異なります。
それはたとえば、柔剣道のような武道の世界や、茶道や華道などの伝統文化に見られるものなのです。
それらの命は、勝負や披露といった「結果」ではなく、あくまでそこに至るまでの「過程」でありました。
なりふりかまわず「結果」だけを求めた行為からは「形の美しさ」といったものは生まれようもありません。
あくまで、次の一手を繰り出すまでのジリジリとした時間や、お点前を頂戴するまでの息をのむような時間にこそ、「形式美」が潜んでいるのです。
 
「秘すれば花」
 
ものの「本質」や、かけがえのない「本性」とでもいえる「花」そのものを
そうした「形式美」は包み込んでくれていたのでした。
まさしく、この国が育んできた美意識でした。
 
つまりは、そこから「はじらい」「おくゆかしさ」といった謙虚な心性も発してきたのでした。
 
にもかかわらず、いつからか「秘する」ことなくひたすら「露わにする」ことに価値の重点移動がなされるようになってきてしまいました。
そして、世間もまた、その傾向を助長するように、
「おバカ」を売りにするテレビ番組を垂れ流したり、
受験生を丸裸にしようとどこの大学までもが「小論文」を課したり・・・。
 
「顔で笑って心で泣いて」
決して「本質」、「本性」は見せますまい。

そんな涙を隠した「見た目」の笑顔の貴重さを
わたくしたちは忘れてしまったのでしょうか。
 
そう考えてくれば、
「服育」「服」、さしずめ学生にとっての「制服」とは
本来、自分自身の「本質」「本性」を守ってくれるなのだといえるかもしれません。
ブームにのったルーズな身だしなみは、そのをみずから脱ぎ捨てあまりに無防備でかつはずかしい裸体を他者に見せつけている破廉恥なことにほかならないのではないでしょうか。

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