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【お知らせ】〈東日本大震災 被災地体験学習 ~見る、感じる、学ぶ~〉 参加者募集.

投稿日2013/5/24

今年も夏休みを利用して〈東日本大震災 被災地体験学習 ~見る、感じる、学ぶ~〉を実施することとなりました。
 
 
 
 

 ※ 昨年の様子から (桜の植樹〈大槌町〉・海岸清掃〈大島小田ノ浜〉)
 
   ◇目的  東日本大震災の被災地を見学し、現地の方々の話を聞き、
        ボランティア活動にも参加して、被災地の現状と防災について学ぶ。
   ◇日程  平成25年7月29日(月)~31日(水) 2泊3日
   ◇行程  第1日(29日) 東京-盛岡-久慈-田老-浄土ヶ浜-宮古 (休暇村陸中宮古泊)
        第2日(30日) 宮古-大槌-釜石-陸前高田-気仙沼 (休暇村気仙沼大島泊)
          第3日(31日) 気仙沼-一ノ関-東京
           ※東京岩手間は新幹線、現地では主にバスを利用
           ※訪問地等、今後の状況により変更されることあり
   ◇対象  中期課程(中学3年・高校1年) 希望者
   ◎事前・事後に「学習」時間を設けます。
   ◎詳細、ならびに申込みは本日配布されたプリントを参照してください。
 
  昨年、参加した生徒の「声」(『校報』第640号)より…
 
■ 旧男子中学3年 S.S君
 東京は連日の猛暑。東北はいくらか涼しいのではと思っていた僕にとって、暑さだけではなく、津波の爪痕に厳しさを感じた旅でした。僕がいたのは、3日間だけでしたが、本当はもっと長く滞在して、お手伝いをしなければならないのだと胸が痛みました。現地の方々の言葉は、ニュースや新聞で見るよりももっと僕たちに訴える強い力があり、今でも深く心に響いています。
 
■ 旧女子高校1年 N.Iさん
 被災地の状景を沢山目にし、お話を聞かせて頂いた時は言葉が出なかった。景色はモノクロ写真の様で、瓦礫も何もなくなっていた。そこでは言葉に表し得ない、悶々としたものを感じ、苦しく、切なくなった。何より、自然に対する「畏れ」や亡くなられた方一人一人の「死」というものの現実を強く感じた。だからこそ、被災地の方々の言葉が心に沁みた。
「大切な人を大切にしなさい」
 今後は悔いのないように一生懸命生きたい。
 
 
くわえて、「平成」のそれ以上ともいうべき「昭和の国難」を克服してこられた「先達」たちの、語り継ぐべき貴重な「声」を、昨年に引き続き抜粋してご紹介したいと思います。真の「復興」とはどういうことなのかを考える契機となるにちがいありません。 

 
    『文藝春秋』(平成二四年三月臨時増刊号:完全保存版)
      3.11から一年  100人の作家の言葉 より
 
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●曾野 綾子  「想定外」を受容する  より
・・・・・・あれだけの数の死者行方不明者が出た震災だが、一九四五年に十三歳の子供として私が体験した大東亜戦争の悲惨さは、とうていこんなものではなかった。あの時の日本は全身傷だらけ、しかも未体験の原爆に傷つき、体力(国力)を失った瀕死の重体であった。・・・・・・その時代を知っている人たちは、今回ただ黙って過去を思い出している。時代がよくなって個人の不幸を国家が補填しようとするのは、いいことだ。しかし「あの戦争の時」自分たちは何一つ不運を国家から補填してもらわなかったことをじっと思い出しているのだ。当座の避難所、仮設住宅、物資(毛布や食糧)の配給、医療班の派遣、国際的な救援組織、短期間に道路や橋などの決壊個所を修理すること、大々的な義援金の募集など、何一つなかったのである。・・・・・・天災という言葉は、現世には「想定外」のものがあるという事実を示している。雷鳴が轟き、稲妻が光る時に、落雷を避ける方法なら、現代の人たちは一応知っている。雷はかなり局地的に発生するらしいが、高い木の下に雨宿りなどするな、という程度の知識は誰でも教わっている。それでもなお、帽子につけていたバッジに雷が落ちることはある。・・・・・・もちろん人間は、想定の分野をどんどん拡げて来た。だから危険を予測できる範囲も広がったのはすばらしいことだ。・・・・・・(誰かの)責任の部分を詳細に追及して責任を問うことは大切だ。しかし人生に「想定外」の部分を認めないという思い上がった人とは、私は到底同じ人生を共有しきれないことが今度初めてわかった。
 
●野坂 昭如  あらゆるものを否定せよ  より
・・・・・・世間ではあれこれスローガンが持てはやされた。「頑張ろう日本」「一つになろう」言葉がないよりマシかもしれない。だが、スローガンをもとに、それぞれがそれぞれの言葉を持ち集めるべきところ、単純な言葉で完結してしまう。上滑りする言葉に絡め取られ、編集された被災地の映像を拾い眺め、判った気になって、やがて安易な感情論に走る。これだけメディアが発達した世の中で、本当の姿は見えてこない。そんな状態のまま、復興とやらを進める。見えないものは闇に置き去りにされるのだ。・・・・・・戦後、復興という名のもとに、せっせと働き今日に至る。食うや食わずから始まったのだ。しゃかりきになったのは当然として、ほっと一息ついたあたりで、先のことを考えるべきだった。敗戦を総括しないまま、文明の恩恵とやらに浴し、豊かさを楽しんだあげく思考停止となった。かつての日本人は限りある資源をもったいないという心で大事に使い食い物も同じ、いただきますと言って命あるものを自らの糧と養う。汚く食べ残すことなどしなかった。 これからの日本が復興とどう向き合うのか。若い世代の皆さんには、立ち止って考える力を持ってもらいたい。調子のいい言葉に巻き込まれちゃいけない。あらゆるものをまず否定して、生き延びてほしい。
 
●伊藤 桂一  戦中世代の生き残りとして  より
・・・・・・「易経」という本の中に、天の運行は公平にして偏らず動いている、ただその星の下に、犠牲になってゆく世代がある、天命である、と。・・・・・・このたびの3・11の出来事をみても、助ける、という使命感に、特に死生を越えて献身を惜しまない人達がいた。自衛隊員、警官隊、消防隊、市区町村の先頭に立つ人々。ことに原子炉の勢いと闘う人たち。これらの人々はみな戦中世代を哭かせる人々である。これらの人々の献身的な働きによって、復興という念願の意味が具体的に証明されてくる。 「易経」がいう「犠牲になる世代」は「犠牲にならない世代」の人々の分をも背負ってゆく。要するに、自身の使命感に誠実に奉仕することだと私は考える。(これでいいのだ)という短いが精神の躍動感を持つ“勇気”を抱いている人のことである。何事にも、いわず語らず黙々と任務を果たすことを心掛けた戦中世代を思うと同様に、3・11の苦悩を黙々と支えてゆく人たちに、戦中世代はただ感謝している。この人たちの“勇気”と“努力”が国を起ち上がらせてゆく、原動力になっていると思う。
 
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