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自然と人間、そして環境。.

投稿日2013/1/30

今年もいよいよ本校の入学試験の季節がやってきました。
「環境美化の日」でもある今朝の全校朝礼では、T先生(理科)から、先般の中学2年生の華道実習作品によって思いがけず十五年ぶりに果たしたある花との再会からお話が始まりました。
 
…花を育てるという行為を通して、それぞれに適した環境というものがあること、さらに、目にはふれない土中の根の存在こそがその礎として最も大切であることなどを教えられます。その上で、私たち人間もまた、同じように環境の動物であり、加えて人間にはみずから考えることでよりよい環境を創り出し、整える能力があることを実感できます。…
 
 
折しも・・・
今年度の『読書感想文コンクール』にて佳作を受賞したY.N君(男子部高校3年1組)の作品が、『校報』の最新号(第644号 1月31日発行)に掲載されています。
「リンゴを再び『自然』へ、奇跡へと昇華させた男の物語」から彼が得たものは何だったのか、ぜひご一読ください。

 
 
 
        『奇跡のリンゴ』    男子部 高校3年1組  Y.N
  
 人類はかつてより、甘く、美しいその実に魅了されてきた。ある少女はその鮮やかさに何の疑問も持たず、毒のリンゴに噛み付いた。ある学者はその膨らんだ実が地に落ちる様から閃きを得た。そして、原罪における知恵の実もその姿をリンゴとして描かれる。そう、物語はこの美しい実と共に語られてきた。
 赤・青・黄金に輝くこの実が半ば神格化されてきたのは、これらが『自然』の産物であったからだ。『自然』と調和・共存し、緑の中に小さな白い花を咲かせる。そして、鮮やかに輝く実をつける。甘味・酸味・栄養分を豊富に含むその実を口にしたとき、人々はどうしようもなく奇跡を感じたのだろう。
 しかし、産業化の波の中、大量生産・農薬の使用を前提とした品種改良の末、リンゴは『不自然』の産物となってしまった。
 これは、リンゴを再び『自然』へ、奇跡へと昇華させた男の物語である。この物語の主人公、木村秋則は、絶対不可能とされた、より『自然』に近い無農薬リンゴの栽培に人生をかけ、そして成功させたのだ。しかし、その道は決して平坦なものではなかった。彼は「絶対不可能」を覆すのに、実に九年もの時間を要した。
 彼は思いつく限りすべてのことを試した。人生を、私財を、家族すら擲って。だが、何ひとつ良い結果は得られなかった。万策尽きた。この無謀な挑戦に終止符(ピリオド)を打つため、自分自身の命と引き換えにしようとし岩木山に登った。リンゴの木と同様に、彼の命が消えかけたとき、彼は見たのだ。魔法のようなリンゴの木を。八年ぶりに咲いた白い花を。彼はさがし続けた答えをついに見つけ出したのだ。
 すべてを成し遂げた木村はこう言う。「バカになればいい」と。「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り会う」と。人が生きていくためには、知識や経験を積み重ねることが必要である。しかし、新しい何かに挑むとき、最大の壁となるのはまたその知識や経験なのだ。木村は、長年培った知識や経験が何の役にも立たない世界へと挑んだ。そして掴んだ成功が次世代の新たな知識や経験となるのだ。
 昨年この世を去ったアップル(apple)社の創設者、スティーブ・ジョブズも同様の言葉を残している。「貪欲であれ(Stay Hungry)、バカであれ(Stay Foolish)」。彼もまた、揺るぎない信念を持ち、常識を破り捨てることで奇跡を勝ち取った。木村と彼を繋ぐものはもうひとつ、リンゴだ。自社の製品が現代における知恵の実になることを目指してつけられたこのロゴは、木村の信念とまったく同じものであろう。
 木村の言葉にもうひとつ印象深いものがある。「リンゴの木は、リンゴの木だけで生きている訳ではない。周りの自然の中で、生かされている生きものなわけだ。人間もそうなんだよ。人間は、そのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。そして、いつの間にか自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだよな」。これは紛れもなく、現代社会に宛てた警鐘であろう。
 農薬を撒くことで、周りから分離し、自然との調和・共存を忘れたリンゴは、まるで他者との交流を恐れながらも、他から与えられたものだけを利用する現代社会そのものだ。この歪んだ構造こそが『不自然』なのだ。そこには奇跡は起き得ない。『不自然』な世界は、生きる力を奪っていく。
 我々は、人間も『自然』の一部であることを知らなければならない。『自然』の中ではそれぞれが役割を果たすことで調和・共存が成り立っている。他を切り離すことでも、他に寄生することでもない。自分が自分らしく生きることが必要なのだ。人々の、ひとりひとりが現実を直視し、自分らしさを取り戻したとき、互いの生きる力が調和し、人々は『自然』へ帰るのだろう。だが、それが簡単でないことも、この物語は示している。
 ただ愚直に物事に向かう姿勢こそ、自分らしさの象徴であろう。信念を貫くこと。自分らしく生きること。それらは同意義である。ならば、私たちにできることはただひとつ、自らの道をひたすらに突き進むことに他ならない。人間は楽に生きたがる。しかし、その先にあるのは『不自然』な未来だけだ。『自然』な社会を取り戻すには、我々ひとりひとりが信念を持ち、歩まなければならない。この社会が農薬に濡れた毒リンゴとなるのも、人々を『自然』へと導く知恵の実となるのも、我々の手にかかっているのだ。 

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