昨日から、男子部高校2年生が〈寒稽古〉にいそしんでいます。
先週の中学3年生と比べると、技のキレも、気合いの声も、すべてにおいて「一日の長」を感じさせました。
ところで、「稽古」とはそもそもどういう意味なのでしょうか?
「稽」の字はもともと「かんがえる」こと。
つまり「稽古」とは、「昔のことをかんがえる」ことであり、「古書を読んで昔の物事を参考にし、物の道理を学ぶこと」なのです。
それゆえ「寒稽古」は、決して「早朝練習」ではありません。
形、礼儀、あいさつ…柔道も剣道も、その「技術」以上に大切な「精神(こころ)」を養う修練の場なのです。
さて、現在〈東京国立博物館〉では、あの書聖と呼ばれる筆の達人 「王羲之」の特別展がひらかれています。
世界で十指に満たない精巧な唐時代の摸本の中から選りすぐりの作品が展示され、その筆勢を目の当たりにすることができる貴重な機会です。ぜひ、お誘い合わせの上、上野の杜へお出かけください。
その代表作である「蘭亭序」の末尾には、「古典」を学ぶことの意味と、「稽古」にも通じるこんな一節が残されています。
世殊事異所以興懐其致一也
後之攬者亦將有感於斯文
世の中がかわり、事物が異なったとしても、
心に深く感ずるということの根拠は、たいてい一つにつながることです。
後々の世にこれを手にとって見てくれる人は、
きっとこの文章に何かを感じてくれるにちがいないと信ずる次第です。