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新緑、濃くもあり淡くもあり。.

投稿日2008/4/25

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 新緑が風にゆれている。

 今年は、例年とくらべ葉の茂り具合がはやい。その変化に応じるように1年生もここへきて「久我山」生活が板についてきたようだ。そこかしこから張りのある元気な声が聞こえてくる。

 同時に、それまで先輩の後ろで遠慮がちだった元1年生も、われがちに外へ飛び出しては先頭を走っている。

 昔から季節の移ろいを人の一生になぞらえることがあるが、中学・高校時代というものはまさにこの季節が似つかわしい。
 

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 しかし、一口に新緑といっても、この時期の葉には微妙な濃淡が見受けられる。一足早く枝先についた葉は、日ごとに緑濃く、真夏のそれ以上に紫外線をたっぷり含んだこの季節特有の陽の光をしっかりとガードしてたくましくもある。それにくらべ、ようやく羽を広げた雛鳥のように葉脈を透きとおるまでに見せている若葉は、どこまでもかよわい。こうした両者の微妙な色合いと質感の違いは、秋口の紅葉のそれとはくらべものにならないほど、微かで繊細である。それは上級生と下級生の違いに似ている。

人は生活する限り好むと好まざるとにかかわらず多くの経験を積んでいく。その経験の差から、一歩先を行くものは、後につづくものにとって手本となる宿命を負っている。

ぜひとも、上級生は昨年の経験を生かしたよき「兄」・「姉」であってほしい。また、下級生はそんな「兄」・「姉」の言動から謙虚に学ぼうとするよき「弟」・「妹」であってほしい。

 ところで、毎月、ある住宅メーカーに勤める卒業生から、その営業所が発刊する機関紙が送られてくる。家族のあること、その大切な家族とともに自分があること、そして、その家族を守り育む場としての家があること、等々。巻頭言を担当する彼は、どこまでもあたたかく「家」を語ってやまない。昨今、巷を騒がせている殺伐とした出来事をしばし忘れさせてくれるオアシスのようである。

彼はきっと今、公私を通じて理想とする「家」のあり方を日々学んでいるに違いない。一方、私はといえば、そんな彼の語りから大切な何かを教わっている。

改めて思う。教わるのは「弟」・「妹」ばかりではない。人は、まさにもちつもたれつの関係でお互いに成長をしていくのだということを。
 

例年この時期、庭先に咲くパンジーの少々盛りを過ぎた花の茎を、次に咲こうと身構えている後進の花々のために、なんのためらいもなく摘み取るのが日課となってきた。しかしながら今年は、それまでの呵責も手伝って、少し手を加えず自然のままにしてみようかと思っている。

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