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石垣 〜「環境美化の日」の講話より〜.

投稿日2022/6/24

 先日、大阪にて陸上の国内最高峰の大会である日本選手権が開催されました。そのU20の部に、本校から参加標準記録を突破した2名の部員が出場を果たしました。
 結果は、全国の猛者たちが競い合う高いレベルのレース展開の中で、2人とも見事にファイナリストとなり、うちチームのキャプテンは、決勝レースでも勝負強さを発揮して晴れて表彰台にも上ることとなり、記録も、日本選手権としての大会新記録、同時にそれは東京都記録の更新という偉業をも成し遂げました。

 
 
そうした大阪遠征の中、宿近くにかの太閤秀吉による大坂城がありましたので、お堀端からその壮麗なる天守閣を仰ぎ見る機会を得ました。
 幾度かのいくさにより創建当時のままではないにしても、その天守閣はじめ城の堂々たる佇まいは朝日に照らされてより一層きらびやかに見えました。
 

 
 しかし、それ以上に目をひいたのは、そんな城自体をまさに創建当時から支え続けている「石垣」の方でした。 大小それぞれの形状をした石が幾重にも重なり合うようにして積み重ねられ、今なお崩れることなく苔むす姿に改めて目が釘付けとなりました。
 
 
 この城の「石垣」について、かつての名誉校長でもあり、本校の創立者と共に学園のまさに礎を築いた今は亡き佐々木周二先生が、今から半世紀以上も昔の1966年、昭和41年の年度始めに校報の巻頭言に「城」と題した一文を寄せています。
 ちなみに、その後、そうした先生の随想をまとめた「私学の歳月」の中にも、この文章は収められています。
 


  
   城
 
 私は古城が好きである。

 特別に勉強したことはないが、ただ何となく、古城のあの魅力にひかされて、城の本など刊行されるごとに、枕もとに積み上げ、ひとり悦に入って、古城に遊ぶ旅など夢に楽しむ。好きといってもその程度である。だから城の知識など何もない。
 それでも出張先などで近隣を探し回り、いなかの片すみなどに沈んでいる濠端(ほりばた)を見つけては、ひとり人生興亡の跡をしのぶ楽しさを味わっている。
 城の歴史はもちろん古い。だが今に残って華麗な姿を整えているものは数少ない。苔むした石垣と葦茂るお濠端だけが、往時を物語っている場合が多い。
 私はこの石垣にいちばん心がひかされる。がっしりと組み上げられた無数の石が、一つ一つ力となって調和を奏で、すそを引くあの柔らかい、なだらかな力強い流れは、やはり日本的芸術の一つであろう。
 この石垣をよく見てみると、どの石も同じかっこうのものは一つもないことに気がつく。  長いの短いの、四角形の五角形の、丸ぶとりや細いのや、みんな異なっている。それが水辺に映る石垣の姿になった時のあの美しさは、不調和の調和というか、渾然と、一つの力に盛り上がって、これ以上のものはない線と量の美しさを表しているのに驚く。
 絶妙の石の配置、組み合わせ。そこでは、どの石も息づいている。いや、生かされている。近寄って見れば、一つとして同じものはない。それがなぜ、幾百年の風雪に耐えて、優美、強靭な美しさを今に現しているのであろうか。
 諸君、考えていこう。一つ一つ形の違った石がどんなに尊い働きをしているか。諸君はみんなこの石垣の石のように、かけがえのない価値を内に秘めているのである。それは、みんな形のちがった宝物のようなものである。
 問題はただ、自分の努力によって、それを掘り起こすか、どうかである。石垣の石は人手によって運ばれ、並べられたが、諸君の宝は諸君の手以外には誰も掘り起こしてもくれないし、運んでもくれないことを知ってほしい。
 人の能力など大した差のあるものではない。諸君の考えている差は、皆努力の差である。人生に、運、不運はつきものというが、努力のないところに運が開花しないことだけは、明白である。

 諸君、自分に誇りを持とう。そして絶え間ない努力によって、このかけがえのない宝物を掘り起こしていこうではないか。(了) 


 
 いかがでしたでしょうか。
 佐々木先生の言葉をお借りしてあらためて紫陽花をよくよく眺め入ると、それはちょうど城の石垣にも似て、それぞれに微妙に異なる小花一つ一つが調和するようにして咲いていることに気づかされました。
 まさに、「不調和の調和」の花として。
 
 以上で、今朝の話を終了いたします。
 何はともあれ、季節の変わり目、体調を崩さぬよう、くれぐれもご留意を。

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