本来ならば、大半の者たちが朝な夕な行き来することになったはずの「玉川上水」に沿った通学路。
この「玉川上水」には、文学・歴史上、名の知れた縁の深い人物が多く存在します。
小説『路傍の石』の作者、山本有三もその一人です。
翻訳家としても名高いこの作家のことについては、『校報』718号(2020年2月28日刊)の「学びの広がり」と題した副校長髙橋秀明先生の巻頭言に詳しいので、ぜひご一読を。
髙橋先生も、その中で引用されたのは、有名なドイツの詩人フライシュレンの翻訳『心に太陽を持て』。
「心に太陽を持て。
あらしがふこうと、ふぶきがこようと、
天には黒くも、地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。」
この冒頭に呼応するように、最初の訳詞の末尾は…
「くちびるに歌を持て
勇気を失うな。
心に太陽を持て
・・・」
と結ばれます。
山本有三がこの翻訳を手がけ発表したのは、昭和10年のこと。
この国のみならず世界の各地で、人類は「戦争」へと突き進んでいった時代でした。
そうした、先行き不透明ななかにあっても、次代を担うことになる当時の「子ども」らに向けて贈られたのが、この訳詩であったのです。
ひるがえって、在校生をはじめとする多くの現代の若者たちが、今はからずも直面している状態は、この「先」もそしてウイルスという「相手」も、見えなさ加減からいえば、当時のそれ以上に、不安な思いを抱いて暮らしているともいえましょう。
そんな今だからこそ、せめて、あえて・・・
「くちびるに歌を」
「心に太陽を」
そんな気持ちでいっぱいです。
そうした中、本日ここにご紹介する歌、「記念歌あれこれ」第3弾は、中学の第二校歌ともいわれてきた『久我山中学校の歌』です。
久我山中学校の歌
岡野 弘彦 作詞
いずみたく 作曲
1 水ゆく岸の さくら花
しずかにひらく けさの道
ああ 春の日は ここに照り
希望のいずみ 胸にわく
遠い未来を 夢に見て
若い 英知を 育てよう
2 欅のこずえ みどり濃く
光は移る 庭の土
ああ 夏の風 ここを過ぎ
血潮はあつく 身に燃える
青い地球を 踏みしめて
強い 体を きたえよう
3 遥かにかすむ 富士筑波
こだまは遠く 人をよぶ
ああ 秋の星 空に澄み
思いはめぐる 今むかし
広い宇宙に あこがれて
清い 心を 深めよう
この歌詞をあらためて眺めてみると、まさに『久我山の四季』を具現化した世界といえましょう。
ところで、歌詞の中に、現在歌われているものと異なる歌い方がされていることにお気づきになったでしょうか?
・・・ぼくら 英知を・・・
・・・ぼくら 体を・・・
・・・ぼくら 心を・・・
それというのも、昭和60年に再開された「久我山中学校」は、当時「男子」のみでスタートしたのでした。そして、ようやく3学年揃うのを待つように、昭和63年の3月に、この「記念歌」が制定されたのでした。
そして、それからさらに3年後の平成3年の4月に初の女子中学生を迎え入れることになりました。
・・・若い 英知を・・・
・・・強い 体を・・・
・・・清い 心を・・・
それ以降、男女の別なく、同じ「人」として育み身につけるべきものとして、この記念歌も新たに生まれ変わったのでした。
ところで、
「久我山の四季」と申しましたが、よくよく見ると、巡る季節に「冬」バージョンがありません。
そんなこともあり、かつて怖いもの知らずに、4番「冬バージョン」を考えてみました。
学びの路に 息はずむ
笑顔あふれる 君と僕
ああ 冬の樹は 凛と立ち
力たくわえ 今日明日
固い絆に ささえられ
高い 理想を 育もう
……お粗末でした