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「記念歌」あれこれ 〜『久我山讃歌』編〜.

投稿日2020/4/9


 
 本来なら今日・明日と、生徒会のリーダーたちが主催する「新入生歓迎会」が賑々しく行われていたはず。
 
 ※ 昨年の様子は こちら
 
 そこには、主に部活動の紹介や、年に一度の生徒主体による文化の祭典、『久我山祭』に向けての呼びかけをはじめ、日頃の生徒会活動の披露やここ最近の取り組みについての協力要請など、小学校時代の児童会や、他の中学校とは一味も二味も違うKUGAYAMAらしい雰囲気が漂っているのが常でした。
 
 さて、そんな主役の生徒たちのクラブ活動や生徒会活動を、知らず後押しするものに、私学KUGAYAMAらしい「記念歌」があります。
 これまでに、学園の歴史上、節目ごとにその当時のいわば学校の姿を五線譜に綴ったそれらは、まさにその時々の学園の様子を一幅の画のごとく切り取って如実に物語っています。
 
 本日は、その中でも、とりわけ部活動などの応援の際に、スタンドを熱くそして卒業生やご家族も含め、そこに集った者たちみんなを一丸とする「記念歌」をご紹介したいと思います。
 
 誰が呼んだか、「KUGAYAMAの応援歌」ともささやかれるその記念歌は、今は昔、1979年、創立三十五周年(今年は七十六周年)の節目に制定された『久我山讃歌』です。
 
 そのころの本校は、男子校真っ盛り。
 ラグビー部が二度目の全国制覇を成し遂げ、野球部が甲子園に初名乗りを上げ、陸上部も負けじと冬の都大路を疾走したのが、ちょうどこのころでした。
 正直なところ、この頃まで、地方に行くと、「ヒサワレヤマ学校?、どこにあるの?」などとささやかれ、「久我山高校」はとても全国に認知されてはいない学校だったのです。
 
 そんななか、様々なクラブが次々に「全国」の舞台で躍動するにつれ、「クガヤマ健児、すごいぞ!」と世間の本校を見つめる目は百八十度変化してきたのでした。

 そうした本校の「青春」の息吹を歌にしてくださったのが、当時、劇作家、放送作家でもあり、歌人釈迢空の門人でもあった伊馬春部。そしてその詩を力強いメロディに乗せてくださったのが、五輪や甲子園の数々の名曲を生み出したかの古関裕而でした。
 
 こんな贅沢極まりない御二方が手がけた曲が、長く歌い継がれないわけがないと、今更ながら感じ入るばかりです。
 
 それでは、お聴きください。
 歌詞も映像に乗せましたので、周囲の環境が許せば、どうぞみなさんご一緒にご唱和ください。
 
 この厳しい状況下にあって、少しでも、みなさんに元気と活力がお届けできれば…
 

 

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