またまた、女子部中学1年生の『学年だより』より
『作文大賞特別号』をご紹介いたしましょう。
このたびのテーマは「私の宝物」。
最優秀賞に輝いたのは・・・
〈空にいちばん近い場所〉
Y.Hさん
その日も私は空に座っていた。
小学校一、二年生の休み時間、読書をしていたいにもかかわらず強制的に外に放り出された私の居場所。あの頃の私にとって、世界でいちばん空に近い場所は校庭のすみっこでさびかけていたのぼり棒だった。ジャングルジムや屋上の方がもっともっと高さはあったし、それらで遊ぶ子たちの数が多かったのも事実。
でも私はのぼり棒がよかった。
大きな桜の木のせいでいつも日陰になっていて、私以外の子どもたちはまず寄りつくことがない、はっきり言ってしまえばマイナーな遊具。秋から冬は金属がキンキンに冷えていて、休み時間中ずっとそれをにぎりしめていた手は真っ赤だった。
それでも私はのぼり棒がよかった。
日の当たる校庭のあちらこちらで、きゃあきゃあと遊ぶどの子たちより、私は休み時間を「楽しんで」いた。
するするとてっぺんまで登って、中央の太い柱に続いている横向きの柱の一つにこしかける。私一人分だけの靴と靴下がぽつん、と置かれた地面を見て、それから空を見上げる。すると、ココロから想いが一つ一つ、あわい色のついたシャボン玉のようにふわん、ふわんと浮かび上がって空に吸い込まれてゆく。私にはそれが見えた。青空に私の想いが届いてゆく。ふわん、ふわんとちょっとたよりなさげに。でも、まっすぐに。そんな気がした。
それから五年ほどたった四月の初め、私は卒業して初めて小学校に遊びに行った。
先生方に簡単なあいさつをして帰ろうとしたとき、桜の花びらが風に乗って飛んできているのに気がついた。飛んでくる方向には、のぼり棒があった。そこだけ地面がピンク色になっていて、さびて色のくすんだのぼり棒が、いつになく華やいで見えた。
思わず私はそこに走り出していた。
芽生え始めた芝生を踏みしめる。真新しいスニーカーが地面を蹴るリズムに合わせて、頭の中を想いが飛びまわる。
のぼり棒。空。私。ココロ。シャボン玉。
ひときわ強い風が吹く。
桜。桜。桜――。急がなきゃ、あそこに。
空にいちばん近いあの場所に。
靴を脱ぎ散らかし、走ってきた勢いのままのぼり棒に飛びついて、てっぺんの柱にこしかけた。あの頃と同じ、だった。
期待だけを胸に、目を開けた。でも、その想いは二度と空に飛んでゆくことはなかった。何度目をこすっても、瞬きをしても。
空は、「ただの」空だった。 (了)
※写真はイメージです (笑)
…幼い頃に見えたものが、歳月とともにしだいに見えなくなっていくことがあります。
しかし、それは反対に、目に見えぬ大切なものが、いよいよ見えてくるということなのかもしれません。